つかず離れず ３
由利未知
車を走らせながら、私は美己に言い寄るヤクザ男、
何かのけじめに指を落とした、頬骨の出た男が、美己
の甥のためにバイク代をポンと出資したにちがいない
と勝手に想像してそのことにわずかに嫉妬していた。
女は金に靡くところがある。美己は「ヤクザは嫌いで
すから」と言う。しかし、背に腹は代えられない場合
金のために体を許してそれがいつしか金のためではな
く、指の欠損した男への憐憫の情が芽生え、あちらの
テクニックが達者ならばその快感にいつしか体が男を
求めるようになるということは考えられることである。
何を考えているのか定かでない私なんかより、全力
で突進してくるヤクザ男にいつしか美己はなびいてし
まうのではないかと案じられたが、ほんの五分程度、
頭の片隅にひっかかったクモの巣のようなもので手で
払いのけると「天使の花園」に着くころには、他の話
題に忘れてしまっていた。
「天使の花園」は待ち合わせのコンビニから車で十分
ほどの田んぼの中にある。アラビア風の宮殿のような
外観の建物が田舎の田んぼの中に屹立する姿はいかに
も卑猥な場所らしかった。通学途中にこの建物を目に
する小学生は何と思うだろう。
「あれ、なぁに？」
純粋な目で質問する小児に対して母親は何と説明す
るのだろうか。もっとも最近の小学生は小五くらいに
なると会話の中に「ラブホ」とか「エッチ」とか出て
くるので知識はあるのだろう。サンタクロースの存在
を疑い出すころから大人が人に知られたくないことを
することを知るようになるようである。
「あれはね、男の人と女の人が仲良くする場所なのよ」
「お母さんもお父さんと行ったことあるの」
「あるよ。あなたはあそこでお母さんのお腹の中に入
ったのよ」
「どうやって入ったの」
「お父さんと仲良くしてたら神様があなたを運んでき
たのよ」
「どこから入ったの」
「それは大人になったらわかるのよ」
「今知りたい、教えて」
「お父さんとお母さんが仲良くしていると自然に体の
中にあなたが入ってきたのよ」
「どうやって入ったの」
「そんなことはまだ知らなくてもいいのよ」
「エッチしたの」
「え？」
「友達がエッチすると子供ができるって言ってたよ」
「まぁ」
「ねぇ、エッチってなに？」
「そんなことは恥ずかしいことだから知らなくていい
の、もう聞かないで」
こんなグロテスクな不自然な建物をみれば子供は必
ず質問するであろうし、こういう際どい親子の会話が
交わされることになってしまう。迷惑な施設なんだろ
う。
その「恥ずかしい」場所へ別段羞恥の気持ちも伴わ
ず、仕事にでも行くように私は車を進入させていく。
広い通りから田んぼのあぜ道のような細い道を通って
塀に囲まれた「お城」の敷地へと入っていく。美己に
してみれば正しく仕事であるから恥じらいなどは微塵
もない。ビジネスの顔をしている。しかし、素人の女
にしたところが初めての時は男の影に寄り添うように
して入っていったにしても場数を踏めば慣れ切って勝
手知ったる人の家のように男を従えて堂々と入場する
のだろう。
駐車場はほぼ満杯で平日の昼日中からこんなところ
にシケこんで何やってんだ、真面目に働けと言いたい
が、それは自分も同じことで言える筋合いではない。
平日休みの人もいる。実際勤務中に不倫をして来てい
るカップルもいるだろう。そういう車はナンバー・プ
レートが板で隠されている。証拠をつかまれたりした
ら絶対まずい関係なのだろう。
軽トラもあった。男は野人的でいいとしても軽トラ
に乗せられてこんなところに来る女とはどんな女なの
か。農作業を手伝った母ちゃんか。母ちゃんなら家で
やればいい。家でできないような事情があるだろうし、
こんな昼日中しかできない事情を勘案すればやはり不
倫ということになる。農業関係の役員同士の熟年不倫
カップルだろうか。あるいは兄嫁と義弟とか、嫁と舅
とか、再婚した妻の連れ子と義理の父親とか教師と教
え子とかあってはならない関係のカップルが軽トラで
偽装して来ているかもしれない。ここの利用者のそれ
ぞれの事情を知れば一つ一つが小説やドラマになるの
だろう。信じられないような組み合わせのカップルも
あるのだろう。
そこへ行くと私と美己は極めてノーマルで、契約で
成り立った、ドロドロも羞恥もなく、世間体も気にし
なくていい、お互い未婚同士の健全なカップルだった。
正式に結婚を前提に付き合っているカップルが、関係
が進んで利用しているのにほぼ等しい。しかし今のと
ころ私と美己が結婚という話はない。
薄暗い駐車場のいつもの位置に車をバックで止める。
ドアを閉める音が二つ、他に誰もいない駐車場に響く。
美己が先を行って自動ドアからエントランスに入る。
中も薄暗く、噴水やピアノが置いてあるが、これから
のことに思いをはせて気がせいているカップルはそん
なものをじっくり見ることはないだろう。部屋を表示
した電光パネルの前に向かう。すでに空き部屋は一つ
しかない。そこのボタンを押すしかない。美己が押す。
カードが出てくる。今から九〇分以内ならショート・
コースということで、二千九百円でしかも会員カード
を持っていれば五百円割引となる。大抵九十分で収ま
っている。
このエントランスで別のカップルが部屋を選んでい
るところに遭遇したことがある。美己が私の腕を引っ
張って物陰に私たちは隠れた。こういう場合顔を合わ
せないように先客がエレベータに乗って階上に消えて
ゆくのを待つという暗黙のルールがある。一瞬見たカ
ップルはスーツを着た紳士と派手な一見して商売女と
わかった。美己もラウンジで働く水商売だが、今はジ
ーンズを履いてすっぴんでそれらしくない。私も上下
ともユニクロで、年齢差十八の私たちのことを客観的
に見られたら謎のカップルと映ったかもしれない。
エレベータに乗る。ドアが閉まって直方体の密室に
二人きりになるとはやる心を抑えきれなくなることも
あるが私は何もしない。
美己と会う以前に入ったある店ではエレベータの中
で指名したソープ嬢の方からいきなり唇に吸い付いて
きて驚いたことがあった。指名してきた客にはエレベ
ータ内で唇に吸い付けとその店のマニュアルに書いて
あったかもしれない。そこまでしてくれた女の子だっ
たが二回くらいしか続かなかった。大抵は客としてし
か扱われないので時間の中で相当な奉仕をされても通
い続けるような情熱は湧かない。
そう考えると美己は何だろう、ということになって
くる。一般の女でも私の場合一年付き合うのがいいと
ころで結婚を言い出さない私に愛想を尽かした女から
去っていく。私はショックを受けるが求めることにす
れ違いがあるのだろう。私はぬるま湯のようなつかず
離れずの関係を続けていたい。会いたいときに会い、
会いたくないときは会わない、都合がつけば会う、変
に相手を縛らない、要求しない、結婚なんて言い出さ
ない、お茶も食事も付き合わせようとしない。
そういう条件を美己は満たしていた。他の商売女で
もよさそうなものだが、まず、あの時にしっかりとあ
の部分が潤ってくれること、そして私の指のテクニッ
クで頂点まで昇りつめてくれることが何よりの条件だ
った。エレベータでいきなり唇に吸い付いた娘は受け
身のいい子だったが、肝心の部分が乾いていた。声を
出しても演技でしかなかった。これでは情熱が沸かな
い。
エレベータに美己と何度こうして乗ったか知れない。
しかし、私のほうからも美己の方からも何かを仕掛け
てくることはなく、中に貼ってある掲示物を見て会員
に提供するサーヴィスが変わったとかなかなかいいと
かそんなことを話題にしていた。
三階で降りる。ランプの点滅する部屋に入る。枕の
二つ並べられたベッド、ソファ、テレビ、冷蔵庫、電
気ポットがある。右手の奥には浴室がある。
私は上着を脱ぎ、テーブルにスマホとデジカメを置
いてソファに腰を沈める。美己がつけたテレビに見入
るくらいしかすることはない。美己は浴槽に湯を張り、
ポットのお湯を沸かして用意されたカップにスティッ
ク・コーヒーを入れ、店と同じように甲斐甲斐しく動
き回って一段落すると私の横に座って煙草に火を点け
る。以前はバージニア・スリムのロゼを吸っていたが、
今はパーラメントのライトを吸っている。
感心するのは、私はだらしなくソファに凭れかかっ
てリラックスしているのに対して美己は決して凭れず
すっと背筋を伸ばして悠然と煙草を吸っているのであ
る。店にいたころからの習慣なのだろう。私とこうし
て会うのも仕事とわりきっているのだろう、美しく背
筋を伸ばしたまま、仕事の愚痴や姉の悪口などを話し
ている。
緊張感をもって接してくれるのはいいが、もう少し
心を許してリラックスしてくれればまた違うと思う。
以前付き合っていた女は私が車を走らせる横の助手席
でシートを倒して股座をこすりながら一人で喘いでい
たのと比べれば秩序や理性や美を感ずるのでこれでい
いのかもしれない。だらしなく座って度を越して甘え
て私に奉仕を要求したり、男のプライドも名誉も踏み
にじるような暴言を吐くような女では、多少Ｍ気のあ
る私とて耐えられない。そう考えると美己は得難い理
想的な女かもしれない。
姉の美和や甥の己和の話、職場の話などを一方的に
聞く。私のことは尋ねてこない。尋ねてこないものを
美己の機先を制して私がしゃべるつもりはない。私の
職場の話などはどう考えても興味をもって聞いてもら
える類のものでもないし、私の興味にしたところが、
「へー、そうですかぁ」くらいしか反応が返ってこな
いことは想像がつく。
「私はよくしゃべる人より無口な人の方がいいですか
ら」
そんなことを言ったことがあった。私が無口かどう
かは自分では判じられないが少なくとも自分のことを
美己に向かってまくしたてることはなく、ほとんど私
の私生活を尋ねようとしない美己に物足りなさを感じ
ているのであるから、美己は私に気を遣って話したが
らない男の私生活を根掘り葉掘り聞くものではないと
遠慮しているのかもしれない。そしてそういう寡黙な
私を愛していてくれるかもしれない。だとすれば嬉し
いが、仕事相手で金が目当てなのであるからクライア
ントの私生活などどうでもいいと割り切っているのか
もしれない。
実のところ美己が私のことをどう思っているかは未
だに不明で、「好きか」と尋ねると「うん」と頷くが、
絶頂のときも「佐藤さん、好き」とか言ったことがな
い。「いきそう」と喘ぐだけで私の名を連呼したり気
持ちを表明してくれないので、やはりビジネスかもし
れないと疑っている。
美己の話にしても私にすればとりとめもない、どう
でもいい人ごとなのであるが、そこまでひどいかとヤ
ンキー少年己和の話などはけっこうおもしろく聞ける。
そんなドラマチックな展開によくなれるものだと思う
が、美己の家系は素性がそもそもドラマチックで、精
神傾向もやくざな方向にむいているため、どうしても
絵に描いたような波乱の人生になってしまうのだろう。
そういう甥と身勝手な姉、そして糖尿を患い年金生
活を送る母の面倒を見る形にさせられ、ソープランド
を辞めて三つの職を掛け持ちで休日は正月のみという
多忙な生活を送る美己は、親族三人の寝姿をつくづく
と眺めて「こいつらのために私は人生を捧げているよ
うなものだ。こいつらさえいなければわたしはもっと
自由になれる」と考えることもあると聞いた。殺意ま
で抱くことはないと思うが、いきなりマンションの四
階から飛び降りて恥骨骨折をした美己であるから何を
やらかすかはわからない。
今は甥の己和が連れ込んだ彼女まで同居している。
一度己和の子を孕んで流産した若い女の面倒までみな
ければならないハメに陥っている。さらにおまけに犬
と猫も一匹ずつ飼っている。その猫の方は姉美和が飼
っていたもので美和が独りで住んでいたマンションを
家賃の滞納で追い出されると実家に戻ってきたときに
一緒に連れてきた猫である。そして飼い主は新しい男
ができると息子も猫も置き去りにして男の下に走って
後のことはすべて頼りになる妹に押し付けたのである。
当然美己としては怒りが湧いてくるが、それをぶつ
けるべき相手が身勝手な姉では埒が明かない。赤ん坊
に責任取れと迫るようなもので何を言っても新しい男
のことしか頭にない人間に言っても通じない。無力感
に苛まれる。そういう理不尽な思いに耐えて奮闘する
女というのは強い女なのだろう。
甥の己和もその彼女も猫も糖尿の母も本来は長女で
ある姉美和が一切引き受けるべきものである。それを
全部しょい込んで、己は結婚もせずバイト三つの掛け
持ちで奮闘努力している。こういう女を少しでも助け
てやらなければならない。
そう思うが、私もそういう美己を煩わせるような男な
のかもしれない。
ここに私小説風に正直に告白すれば、私は次のよう
なことを美己に要求してそれを叶えていた。
それは端的にいえば写真を撮ることだった。月に一
度くらいしか会えないのであれば手元に相手の肖像が
欲しい。昔ならばそんなことは叶わぬので頭に残った
残像を懸命に脳裏に映し出すしかない。
初めのころは容易に美己の表情などリアルな像を結ん
でいたが、意識するとまったく像を結ばなくなった。
時折美己と似た風貌の女を街中で見かけて瞬間リアル
に美己のイメージが脳内スクリーン現れることがあっ
た。しかし、時間の経過とともにまた輪郭がぼやけて
思い浮かばなくなる。どうでもいい別の人間ばかりが
リアルに立ち現れては消えていく。
写真さえあればこんな心もとない思いはしなくて済
む。美己の写真が欲しいと熱望した私は、写メを送っ
てくれとメールで頼んだ。
「わかりました。いつかいい写真が撮れたら送ります」
と例によって従順に事務的に返ってきたが、待てど
暮らせど美己からの写メの送信はなかった。
今度いつ会うと約束を取り付けたときに「若いころ
の写真をみせて欲しい」と懇願すると、「若いころの
写真は引っ越しの時に全部捨てました」と言った。髪
を染め、ケバい化粧をして煙草をくわえて男と写った
ような写真ばかりだったのだろう。男と別れてすべて
を清算したいという思いから焼却したかもしれない。
それとも面倒なのでウソをついているかもしれない。
店に通っていたころは風俗の女の子を紹介する「漫
遊記」という五百円で買える雑誌の中に紹介されてい
る美己の写真を切り取って一時保管していたが、私も
時折過去を清算したくなるとその手のものをことごと
く処分してしまう性向があるため、手元に美己の肖像
はなかった。
私は二万円ほどのデジカメを購入した。これはもち
ろんそのためだけに買ったわけではない。旅行に出向
いて風景を撮ったり、職場の行事などで使ったのだが、
いつか美己を存分に撮りたいとは確かに思っていた。
動画も撮れるのでこっそりと撮れば後々まで楽しめる
お宝映像になる。
姉の美和に会っていたころ購入したので会う時にそ
れを持参してカメラを向けた。浴槽に湯が入るまでの
衣服を着たままのときは撮影を許してくれたが、服を
脱ぐと絶対に嫌だと言った。浴室から出てバスタオル
を体に巻き付けているときは許してくれたがそれを外
すと絶対に嫌だと言った。相手の了承を得られないで
ムリに物事を進める気持ちは私はない。裸の写真を撮
られてそれをバラまくぞと脅しに使われたら困ると考
えていたのだろう。自分で楽しむだけだからと何度か
メールで交渉したが姉の美和は絶対に首を縦に振らな
かった。
その後姉の美和とは会わなくなり、美己に専念して
からも写真を撮りたいという私の情熱は続いたので美
己に撮らせてくれと懇願した。姉からあの男は写真を
撮りたがるがそんなもの撮らせたらどんなふうに悪用
されるかわかったものではないから絶対に撮らせては
けないと言い含められていたのだろう。
ベッドの横にこっそり動画モードにしたデジカメを
置くと「ほら、そんなところに置いてる」と目ざとく
見つけて指摘しカメラを向こう向きにしてしまった。
それでもシャワーを浴びているときにこっそりと撮
った二枚の写真があってそれがしばらくは美己の貴重
な画像で私を慰めてくれた。
画像や動画をアップすれば金儲けに使えるようだが
私はそんなことをするつもりはなかった。第一自分の
姿も入っていては公開できない。自分の顔にはぼかし
を入れることもできるようだが私にそんな技術はなく、
ユーチューブで金を稼ぐというその手立てもよくわか
らない。おそらく私がこれまで撮った美己の画像や動
画は熟女写真集やＤＶＤにすればそこいらの三流の作
品よりは絶対に価値があるだろう。ヒット商品になる
かもしれない。被写体が熟女にしては美しい。背は少
々低い。胸や尻がもう少し大きければいうことはない
がアングルによって魅惑的な写真がいくらでも撮れた。
だからモデルになることを幾度も美己に進めたがアダ
ルトショップのＤＶＤのパッケージに自分の叔母の裸
体を発見したときの甥の衝撃を思えば絶対にそんなこ
とはできないと言った。
私一人が楽しめればいい。マニアたちの衆目にさら
されて美己が慰み物になっても別に構わないが売れっ
子女優になって私の手から離れていかれては困る。美
己を晒して金儲けをするつもりはない。
私は執拗に美己を説得して、「ま、いっかぁ」という
了承をついに獲得することができたのだった。
会うたびに数十枚の写真を撮り、動画モードにした
カメラをベッドの横にセットした。頂点のところでは
カメラを手にして至近距離で美己の表情を捉えた。実
際に美己と会うことよりも撮影した動画を処理するこ
とに私の楽しみの比重は多くあった。
年齢のせいか会った後は正月に餅を喰いすぎたよう
に食傷気味となってそういうことからは遠ざかってい
たくなる。そして四日くらい後に健常な欲望を回復し
てくるとカメラからカードを取り出してパソコンに取
り込み、その処理にかかった。
楽しみに見ても最初はつい先日展開したことがリピ
ートされているのみで客観的に見てもあまり感銘はな
い。期待していたほどのものではないと半ば落胆して
しまうのが毎度のことである。ところがしばらく寝か
せてまた再生してみると捨てたものではないと思われ
る部分がある。ウィスキーのように何年物という具合
に寝かせると年を経るごとに芳醇な味わいが増してく
るのに似ている。しばらくぶりに見る動画が燦然とし
た輝きをもって迫ってきて、捨てがたい宝物のように
思えてくる。
何よりの楽しみは動きのある絵をコマ送りして魅惑
的な瞬間を固定し、暗い部分を明るくしコントラスト
など微調整をして作品として仕上げていくときである。
動画から写真をいくらでも作りだすことができる。
私の青春期は「ビニ本」といわれるエロ写真集が全
盛のころでそれで育った身としては動いて流れて行っ
てしまう動画よりはストップモーションで凍り付いて
いる静止画のほうがいい。絶頂の瞬間を固体として閉
じ込めて持ち運びもできるコンパクトな自家コレクシ
ョンとしたい。そういう独占欲を満たしてくれる。
写真と動画から制作した写真を紙上にプリントする。
サイズはたいていＡ４だがこれをホームセンターで買
ってきたクリアファイルに収納する。初めは制作順に
入れていくだけだが、つくづくと眺めたくなるベスト
ショットと飽きてしまう月並みなプリントに分かれて、
動画の中から抽出した素晴らしい部分ばかりの中から
さらに厳選した作品、ＡＫＢの総選挙でいえば神セブ
ンのようなウルトラベストショットを選抜してファイ
ルしていく。こういう作業の中に異様な精神の高揚が
あった。
客観的に考えるといい年をして自分は何をやってい
るのだ、こんな非生産的なことに血道を上げている間
にライバルたちは生産的な健全な努力をして、私は残
されたまま頂点を極めた者たちに見下されることにな
るのではないかという思いが頭を掠めたりするが、こ
れが人間というもので、こういうこともどこまでも極
めなければ人の世を本当に知ったことにはならない。
とことん極めた人間こそがまた健全な努力も極めて麗
しい成果も挙げることができるのだと思ったりする。
人に迷惑をかけるのではない限りは個人的な嗜好を
どこまでも追究したところが自己責任において結果を
享受するのみである。非生産的であるから、結果らし
いものは何もない。膨大なプリントが残るのみで、そ
れは廃棄するしかない。見慣れてしまって何の感興も
そそらなくなったプリントは捨てるしかない。大量に
廃棄してもまたすぐに溜まる。しかし、その私の濾過
作業にも耐えてずっと残っている作品がある。それが
本当のベストショットで不朽の作品といえる。
そしてこれが究極の写真だと思ってもそれに満足し
てもう撮らないということにはならない。飽くなき欲
望があって、さらにいい写真を求めて、新たなベスト
ショットを求めて美己に様々なポーズを要求すること
になる。
「写真は絶対ダメ」と言っていた美己がよく許して
くれるものだと思う。どんなポーズも応じてくれる。
いつでもその気になれば動画を公開することはできる。
それで金儲けをすることも十分できる。そこらの二流
のＤＶＤ作品には確実に勝てる作品を私は固定カメラ
でいくつも制作している。女優も不細工なおばさんで
はない。店で通用した美形の熟女で、熟女と言っても
未婚で出産も経験ないので若く見える。二十代といっ
ても信じる人がいる。
金儲けに使われる可能性があるし、「これをバラま
くぞ」と私が別れ話の時に脅しに使うこともできるの
だが、平気で撮らせているということは、私を信じ切
っているのだろう。私がそんな悪どいことをする男で
はないと高を括っているのだろう。別れ話をすること
は自分からすることは絶対にありえず、むしろ自分が
飽きられて捨てられることしか考えられないので、別
れたくても脅しに動画や静止画が使われて自分が困る
ようなシチュエーションは考えられないと思っている
のだろう。だとすれば信じられている私は喜ばなけれ
ばならない。と同時にそこまですべてを開放してくれ
たこの女を大事にしなくてはならないと思う。
私としてはいつデジカメをひったくられて、床に叩
きつけて壊されるかしれないと内心びくびくしている
が、
「え、横になるんですか、こうですか」
と、どんな要求にも淡々と応じてくれる。
前回はこの「天使の花園」でもらった粗品の手錠の
ような紐とアイマスクを美己につけさせて、ＳＭのよ
うな写真を撮った。女を後ろ手に縛ってベッドに転が
したときはこの女を征服したというような興奮がすこ
しあった。しかし、アイマスクは何の感興もそそらな
かった。
手を縛り、足も縛って、猿轡をはめ、蝋燭を垂らし
て、悲鳴を上げさせればそれは面白いかもしれない。
さらに浣腸をして排泄させたりするのも一興かもしれ
ない。そうすると私は自分を若干マゾヒストだと思っ
ていたが、サディストの傾向もあるかもしれないと思
った。
美己は自分のことを「Ｓです」と言っていた。頼ま
れて客の顔を踏んずけたことがあると言っていた。私
も頼めばそのくらいのことはやってくれると思うが顔
を踏まれたいとは思わない。美己に引っぱたかれたり、
「屑、ろくでなし、インポ野郎」などと口汚く罵られ、
顔の上に跨って陰部を押し付けられ、窒息寸前まで苦
しめられることは空想すれば楽しい。
それくらいのことも頼めばやってくれるだろうが、
これまでの経緯からして、美己はそれほどアグレッシ
ブになりきれない。むしろＭではないかと思われると
ころもあるし、「淫乱」とまでは行かず、まじめすぎ
る性格で過激を求める私には物足りなく感じることが
ある。エロ女優のような淫乱むき出しで貪るように男
に食らいつくことを求めても玄人と素人の中間地点に
いる美己には難しいかもしれい。
今日はどうするか、私になりに思案を巡らせていた。
まず、湯を沸かし茶やコーヒーを淹れてくれる服を
着たままの美己を撮影する。話しかけてこちらを向か
せる。
それから洗面台の上にカメラを置いて浴室の方を向
けて動画を撮る。以前は浴槽に湯を張っても自分はシ
ャワーを浴びるだけで共に入ることはなかった。強引
に浴槽に入らせるとやがてはそれが習慣になって言わ
なくても美己から入ってくるようになった。それはサ
ーヴィスとしてやっているのか、自ら快楽を求めてな
のかはわからない。湯の中だとベッドの上とは違って
湯が仲立ちをして自由になれる。羊水に浸かっている
胎児のように自然になれるかもしれない。
湯から上がると美己はバスタオルを体に巻いてベッ
ドに入り、掛布団を被って私を待っている。
しかし、それでは面白くとも何ともない。掛布団を
剥いで、ベッドに座らせ、美己が脱いだ薄いＴシャツ
を着させる。上だけで下は何も履かせない。そうして
様々なポーズを要求するがすべてを受け入れてくれる。
「裸は絶対イヤ」と言っていたころからすると格段の
進歩でどういう心境の変化なのかじっくり聞いてみた
いと思う。しかし、余計なことを聞いてやはり自分の
やっていることは異常なこと、際どいことだと認識さ
れては藪蛇なので黙っている。
私の一番好きなのは横座りになって、脚をそろえて
横に流し、両手を前方について哀切な目をしてこちら
を見ているショットだった。胸の谷間がはっきりする。
それからベッドの横のテーブルに手をついて後ろから
こちらを向かせやはり哀切な目をするポーズも私の好
みでそれを写真としてプリントして私のコレクション
の中に加えた。他の写真が飽きて淘汰され捨てられて
もそのベスト・ショットは残っている。
私は一体何を求めているのか。自分自身に問わなけ
ればならない。生身の美己よりも映像の中に見せる一
瞬の美己を愛している。愛しているに語弊があれば、
執着している。動画の美己も生身の美己も動いていて
は流れていって、自分のものとはならない。この女を
完全に自分の物にしたいと思っているのか。
独占欲も確かにある。結婚してもらえば自分独りの
女として法的に固定されるから独占欲はほぼ満たされ
るであろう。しかし、家族構成といい、その過去とい
い、現在といい、結婚するには面倒が多すぎる。波乱
は必定でこの一年の彼女の姉と甥の話だけでもドラマ
チックを超えて災厄の域に達している。この先何が起
こるかしれたものではなく、爆弾を背負って生きてい
るようなもので、実際背負っているのは美己なのだが、
そんなものを自ら進んで共有したいとは思わない。彼
女を愛するあまり背負っている爆弾も愛するのです、
などと芝居がかったセリフなんか言っていられない。
面倒や災厄は極力避けたい。当然のように見えている
災厄に向かって走っていくつもりはない。
そうすると結婚はできないので独占欲は満たされず、
それだからこそ、満たされない望みを求めて魂は渇望
する。そこに尽きせぬ欲望の理由があるかもしれない。
生身の美己は月に一度ほんのわずかの時間の逢瀬で
独占しているとはいえない。しかし、写真は平面的で
あるが美己をリアルに写し取り最も魅力的な姿で永遠
にそこに留まっている。こちらの方が愛すべきかもし
れない。
美己が私の大量のコレクションを見たらどう思うだ
ろうか。自分写真を数千枚も溜め込んでそれでも飽き
ずに自分を撮ろうとする男を愛するだろうか。女は自
分が愛する男から愛されたいだろうが、それが自分の
体、それも首筋とか足首とか太ももとか体の一部であ
ったら嬉しいだろうか。嬉しい女もいるだろう。体の
一部であっても賞賛されることは嬉しい。しかし、「
私の体が目当てですか」と迫ってくる女がいる。結局
体が欲しいだけで、快楽を得るためのダッチワイフと
変わらぬ「モノ」としか女を見做していないのであれ
ば、女は満足しないだろう。
自分の写真を数千枚も集めて生身の自分よりも写真
の方に興奮して自慰をするような男は「変態」と見做
されるだろう。そういう男を「かわいい」とか「かわ
いそう」と憐れむこともあるだろうが、大抵は後ろに
引かれるだろう。あるいは写真に嫉妬されるかもしれ
ない。自分の写真であっても今の自分を愛してもらう
のではなく、すでに過去となっている自分、瞬間の幻
のような自分が愛されているにすぎないからである。
私は第一に美己を独占して自分の所有物にしてしま
うことを欲している。
そしてまた、私は美己に愛されること、第一の欲望
とは逆に美己に独占されることを欲している。私が美
己の紹介によって姉の美和を紹介され「浮気」をして
ることに美己は嫉妬した。自分で紹介しておきながら、
私が姉の美和とメールのやり取りなどをしていること
に美己は激しく嫉妬して、姉妹は盛り場で酔った勢い
で殴り合いの喧嘩をして美己は肩から乳房にかけて痣
を作った。美己がそれほどまでに私を独占したがるこ
とに私は悪い気しなかった。いや、もっといえば嬉し
かった。しかし、美己の言をかりれば、それは姉美和
が独占欲が強く、私を自分の占有物にしたがったため
自分の客だというような顔をする妹が気に食わなくて
喧嘩になったということだった。いずれにしろ似たよ
うな風貌、体つきをした二人の女が私を独占したいた
めに闘争したということは快かった。できれば私のい
るところで私の目の前でやって欲しかった。できたら
ベッドの上で私がレフェリーとなって女子プロレスの
ような泥仕合を演じて私ももみくちゃになって二人の
肉体に挟まれて悶着したかった。
このようにＳでもありＭでもある交錯した私の望み
と自分ではＳといいながら、従順でＭかとも思われる
美己とＳ極とＭ極が相互に惹き合いながら、その日も
私の演出した通りに美己は動いて、いつものパターン
で最後は美己が上になって事を終えた。
その気になればいつでも終了できる関係である。こ
れまでも危機は何回かあった。それでも十年続いてい
るこの関係とは何なのか。金と欲望のギブアンドテイ
クの関係が偶然にも単に続いているだけのことなのか、
それともそこに縁とでもいうべき宿命的なものがある
のだろうか。単に偶然では十年も続かないことを思え
ばなにがしかの意味はあるのだろう。あるいは将来法
的にもつながる宿命を背負っている縁かもしれない。
あるいは呆気なくある日、些細なことで罵り合って決
別することになるかもしれない。
「私をどうしたいんですか」という美己の問いかけに
私は「美己からは離れられんのや」と応えた。そこに
ウソはなかった。別に分かれても構わないと思ってい
るが、いざ美己を失うとなると心の中の空洞はもはや
埋めようがない気がする。
つかず離れず適当な距離を保ちながら、一点でつな
がりつつ、細く長く愛し続けるとすればそれは理想的
な男の女の関係かもしれない。
どちらかが前に出過ぎることなく、後退し過ぎるこ
となく、地球と人工衛星のように等距離を保ちながら
回転をつづけることを祈りたいが、思い余って更なる
接近や衝突、合体を望めば破綻が生ずるだろう。しか
し、それを心のどこかで望んでいるようなところがあ
る。このままつかず離れずでは我慢が出来ずに暴挙に
出るかもしれない。そう予感しつつも何事もなくこの
まま続いて自然消滅に至るかもしれない。それはわか
らないので今を能うる限り燃焼し尽して、充実させる
ことを私は望んでいる。
待ち合わせたコンビニまで美己を送る。
「ありがとうございました。気を付けて」
店で送られるときと同じセリフである。小さく手を
振ってくれる。私も指二本だけ振る。バックミラーで
見ると私をずっと見送るでもなく、すでにそこまで乗
ってきた自転車のかごに荷物を入れている姿が映った。
この距離感からするとまだ当分続きそうだと私は一人
になった車の中で考えていた。
（了）
月刊ＷＥＢ風 ２０１７年月３号 通巻第９６号
［原稿用紙３３枚］
