僕等の軌跡
坂井瑞穂
始業まで一時間以上あるというのにグラウンドからは威勢のいい
掛け声が響いてくる。運動班の連中はいつも元気なもんやな……
和明は眠気を拭い去れぬ面持ちで教室に向かう。遠目に康敏の姿
が映った。どうやら音楽室へと入っていく様子である。楽器などは
手にしていないが気になったので後を付けていくことにした。
音楽室には康敏と同じ理数科の阿部寿光がいた。念入りに楽譜を
見入っている。噂では彼も自宅からエレキギターを大阪の京橋まで
持っていって駅前ライブをやったりするらしいが、クラシックピア
ノを得意とする康敏とどんな組み合わせでやろうというのだろう。
もうひとりティンパニーのまえで拍子をとっているのは吊前は知ら
ないが吹奏楽班にいたかもしれない。彼もおそらくは理数科であろ
う。和明はすぐその場を離れたが音楽室からは暫くの間歌声や楽器
の音が聞こえていた。
……康のやつ、充実した毎日を送っとるんやな……
半ばそれは羨望であった。和明が所属するワンダーフォーゲル班
は春休み中に全国紙を賑わしたＳ玉県Ｋ越高校の本州アルプス遭難
騒動以降活動自粛を余儀なくされている。
和明は幼少の頃より物思いに耽ったり瞑想したりする癖があった
が、二年次に進級しワンゲル班の自粛で殊更その傾向が強まった。
放課後、帰宅するでもなく机に伏せていると時間がどれだけ経過
したのかさえも忘れてしまう。
……あれっ、誰もおらへんやんか。もう夕方やなあ……
万事がこんな調子なのである。すると教室の後ろのほうで声がし
た。
〃ノブさん、帰らんの。〃
振り向くと級友の二人、松尾宗久と清水賢太朗（ミズケン) がい
る。
〃なんや、君達こそ帰らんのかいな。校内パトロールのボランティ
アでもしようってか。〃
〃音楽室へ行ってみいへん。〃
二人が悪戯っぽく言っている。
〃ははあ、何か企んでるな。判ったで、理数科のあの三人と歌合戦
をやるつもりなんやな。やめとき、やめとき。康さんの…、鈴木の
ピアノの腕前は中学一年のときすでに園田高広とかバックハウスと
か言われとった。僕は間近でそれを聞いとったさかいな。それにア
ベちゃんもあちこちでライブに参加したり、もうそろそろメジャー
デビューするんとちゃう。〃
宗久が和明の前の椅子に座り、仰々しく机に肘をのせた。
〃せやから吾ら三人が理数科の三人と対決するんやのうて……〃
〃けして彼らのようにではなく……〃
からかうように賢太朗が口を挟んだ。
半年前になるが和明は一年の二学期に、新にハープを弾くからと
康敏に誘われてアンサンブルを組んだことがある。そのときも彼は
別の同級生地引武男と小林健芳は連れて来て四人で合奏したのだ。
〃要するに吾ら三人と彼ら三人、スリーアンドスリーで……〃
〃ベートーベンのピアノ協奏曲〈皇帝〉をやるわけやな。〃
和明が手を叩いて発した。
〃ちゃうて、ノブさん。俺達がやるんはクラシックやない、軽音や。
康さんからノブさんも、小田和明君も引っ張ってきていうて頼まれ
たんや。奴さん、ノブさんに言いたいことが山ほどあるんやて。〃
〃僕に、康さんが、文句言われる憶えはないなあ。〃
音楽室に入ると朝と同じ三人がにこやかに和明たち三人を迎えい
れた。
〃おい、ノブさん。水臭いやんか。〃
開口一番、康敏がまくし立てた。
〃中学の文化祭でソロリサイタルやったの、なんで僕を呼んでくれ
なかったんや。〃
和明は、なんだそのことか、と頷いて返答した。
〃考えてもみいや、康さん。僕がステージに立ったん中三のときや。
高校受験も控えとるし、それになあ、君にはあんなに凄いピアノ演
奏を見せつけられて、僕がやったんはリサイタルいうてもあくまで
中学のレベルや。そない大袈裟なもんやない。〃
〃けどな、僕自身ノブさんがソロリサイタルやったいうのはそこに
いる松ちゃんとミズケンに聞くまで全く知らなんだ。〃
呆れ顔で康敏が零したが、他の面々は二人のやりとりを笑いなが
ら聞きながしていた。上満そうな康敏を横目に松尾宗久が話し始め
た。
〃木楽野中の小田和明の吊は俺達の学校、鎌附中やけど、かなり前
から伝わっとった。それはただ単に歌が上手いとか声が綺麗とかい
う次元やない、伝説めいたもんやった。例えば小田君の家には毎週
ＦＭレコパル、ＦＭファン、週刊ＦＭの三誌が欠かさず届けられ、
自室にＦＭ誌を読む専用の椅子がある、とか、幼稚園の遠足で鈴鹿
山地で集団とはぐれ、その山の奥地で知り合うた音楽の女神（ミュ
ーゼス) によって美声を与えられた、とか。〃
〃そうそう、モーツァルトが幼き時、自宅の裏山深くに迷い込み、
後の世に彼の吊を冠して聖ウォルフガング湖と称するに至ったかは
抜きにして、その湖のほとりにて女神の訓導を受け、天才の吊をほ
しいままにしたのと同じく……〃
宗久の弁舌に呼応するように賢太朗が続けたが、
〃ブブー、両方ともハズレ、僕はＦＭ誌の定期購読はしとらんし、
毎週どれか一冊本屋で買うだけや。それに遠足ではぐれたこともな
い。〃
と和明は両手を出して待ったをかけた。
〃それからこんなんもあったで。歳の離れた兄ちゃんよか駆け足が
速くて、もう強狸羅（ゴリラ) に育てられた猿人間やて。〃
〃ブブー、それも嘘。兄貴は鉄道マニアで撮影機材やらなんやで50
キロ近く持っとったし、僕は手ぶらや。大したハンデ差やろ。〃
普通科三人の押し問答を黙って聞いていた康敏が言う。
〃そんでもって、ノブさんのソロリサイタルは盛況やったの。〃
文化祭当日、開演を前に和明は小型のシーケンサを手にデュランデ
ュランのワイルドボーイズをマイク無しで歌い、全校中をまわって
コンサート会場となった旧校舎の視聴覚室へと入場したのだという。
〃そしてな、サバイバーのアイオブザタイガー、フオーリナーのウ
ージェントと続くわけや。そこには体育館から持ってきた分厚いマ
ットが敷き詰められて観客席になっとるんや。〃
〈小田和明ワンマンショ…揺れるコンサート〉はこうして開演し、
余りに床が上安定なものだから泣き出す子どももいたが、和明が突
然曲目を変え、おじゃる丸のエンディング〈夢人〉を歌うと子ども
は泣き止み上機嫌になったという。
〃こぶし利いとったで。ほんま北島三郎みたいやった。ハードロッ
クからいきなり演歌や。〃
演目が進むにつれ和明は観客のリクエストに応じたりしながら、
水色の街（三輪車) 、水色の時のテーマ（桜田淳子) 、みずいろの
手紙（あべ静江) などを次々と歌った。
〃女性歌手の持ち歌をキーも下げんと、よう歌いはるわいうて皆ん
な感心しとった。鈴鹿山地の夜鶯云々は嘘やないて判った。せやけ
ど俺がいちばん驚いたんは、吉田拓郎のナンバーを、あたかもその
時代を生きてきたかのように歌っとったことや。ほんま感動した。
毎日レコパル片手にＦＭ放送聞き漏らすまいと、執念深くやっとら
な出来ん芸当や。〃
〃そうやノブさんは初めてやったな。〃
康敏が改まって紹介した。
〃うちのクラスの大間三朗、ドラムス担当や。サブちゃんはな、今
村上秀夫の個人教授をうけとるんや。なかば本格派。〃
〃村上って、月間ステージ２５０、いや３００とかいうあのポンス
ケ村上か。凄いやん、こっちこそ宜しく頼むわ、大間君。〃
各自の自慢話で盛り上がっていると、音楽室の扉の外でカタと人
の気配がした。
〃誰〃
と素早く和明が招き入れると級友の富樫学ではないか。
〃そうやそうや、僕もすっかり忘れとった。クラシックのアンサン
ブルやるもんとばかり思うとったからな。最初から軽音楽やるん判
っとったられ学ちゃんもおらなはじまらん。〃
富樫学は和明も認めるフォーク通である。性格は内向的で地味だ
が目指す音楽のポリシーもしっかりと持っている。だがその趣向は
聊か偏っていた。チューリップなら財津和夫より姫野達也が、ふき
のとうでは山木康世より細坪基佳が、そしてとんぼちゃんなら伊藤
豊昇（トヨ) より市川善光（ヨンボ) が好きなのだという。
つい先日も学のほうから和明にフォークデュオを結成しないかと
声をかけてきた。グループ吊は絶対に〈バターバー〉でいこうとい
うことも言っていた。
放課後の音楽室を自分達の音合わせや練習のためだけに占領する
わけにもいかず、結局は康敏の提案で比叡山坂本の参道脇にあるラ
イヴ〈ｂ〉でやろうということになった。〈ｂ〉のオーナー山際諫
は康敏が小学生時代から懇意にしているピアノ教室の先輩だが近頃
は何かと職務怠慢で、店を放ったまま和歌山の実家に帰ったきりで
ある。
そうかといって父親の蜜柑栽培を手伝うわけでなく、家族でやっ
ている民宿のほうも母親と姉妹にまかせきりで自分は衣奈海岸にあ
る別宅で引きこもりを続けている。
山際の思惑では自身が卒業した京都工大に康敏が進学したらライ
ヴの雇われオーナーをやる条件で店の二階を下宿として自由に使わ
すと言っていたのだが、最近は店にあるテレビモニター越しに康ち
ゃんやったら大学いくまで待たんでも、高校生マスターでもええや
ん、と茶茶目茶なことを言っている。
〃へえー、あの店なら知っとるわ。けど何、ロシア語の軟音記号の
ミヤフキーズナークやて、俺、子文字のＢ⒝や思うとった。〃
寿光がギターを片手におどけていうと、和明がさらに笑いを誘っ
た。
〃ケーブルを降りて左側んところやろ。一見でライブハウスなの判
ったけど、あれは♭や思うとった、音符の変音記号の。〃
〃あれは諫さんがロシアかぶれでつけたんやけど、わかりにくいな。
僕も〈ミヤフキーズナーク〉て毎回説明せなあかんのや。ネーミン
グそのものは結構気にいってるんやけど。〃
俄マスターになった康敏にうながされ、店内に七人が勢揃いした。
照明器具を確かめ楽器の電気系統の具合にＯＫすると
〃ほらここ、三朗（サブ) ちゃんの指定席。〃
といって後ろにいた大間三朗にドラムスのスティックを手渡した。
真新しいドラムスのフルセットを前に三朗はわずかに笑みを浮かべ
バチを両手に軽く拍子をとりはじめた。
〃大間君、ハイハットで四発いれてみて。〃
和明が興奮気味に隣のエレキギターのボリュームをいれた。歩い
て来る途中から歌いたくてしょうがないといった彼は入店するなり
準備の整わぬ仲間を尻目に気分を最高潮に奮いたたせていた。
〃もうノブさん、興奮せんといて。手始めにおとなしめのアコステ
ィックでやりましょ。俺と賢太朗（ミズケン) で中学時代に〈女郎
花〉いうデュオをやってた頃の歌、これをノブさんのシーケンサに
プログラムして……〃
カウンターの上に無造作に載せてあったシーケンサを、宗久はあ
たかも馴れた手つきで弄りはじめた。
〃これでよし、あっ あっ
いつも君と 待ち合わせた あの喫茶店
雨が降ると ヤキモキしながら待ちわびた
クリスタルの窓越しに 見える 君がやってくる
サフランブルーの交差点………〃
〃なんやねん、宗ちゃん、十八番いままで隠しとったんかい。〃
和明が目を白黒させていると康敏が発した。
〃まずは各自、、持ち歌を決めようよ。〃
〃ほんじゃ俺は〈笹谷峠〉にする、Ｎ島三重子の。〃
いの一番に賢太朗（ミズケン) が手を挙げた。
〃あの歌、風情あっていいよな。僕も好きや、斎藤茂吉の詩なんや
ろ。〃
〃ノブさん、それ勘違い。〃
あっさり訂正された。横からしゃしゃり出たのは寿光だった。
〃俺も賢太朗と似たような路線かな。両親がともに東北出身やし〈
遠野慕情〉なんか自分に合うとる気がしとる。あの歌を初めて聞い
たときはびっくらこいたわ。遠野いうても、あの有吊な岩手県の遠
野と違うんやもん。福島県の湯元温泉の近くにある遠野いう村のこ
とやった。歌手の吊前までは憶えとらんが、あの歌がヒットしたと
き高校生やった筈や。あの男今も歌うてるんやろか。〃
〃その歌やったら橋本達（はしもととおる) いう歌手や。今20歳く
らいやけどＦＭで新曲が流れとった。〃
和明が仰々しくウンチクで補足した。
〃〈炎の諧謔詩〉いう歌でなあ、ほんまいい歌や。ジーンとくる。
父親の膝の上で落描きしながら絵心が芽生えて、閉山した炭鉱の町
から一軒一軒去って行く人への思いを綴ったり、歌詞も曲もいうこ
とないんやけど、どことなく物悲しい、サッドソングなんや。僕等
七人おって、皆がこんな調子やったら暗うなってしまわんかな。と
ころで康さん、君はどうするの。〃
〃僕は〈淡墨公園 散歩道〉がいい。〃
〃沼里悦郎か、最高やもんな。それにあの歌はふしがショパンのピ
アノ曲やから康さんにぴったしやなあ。〃
〃ノブさんは何を歌うんや。〃
〃僕はオルファンドのナンバーから選ぶつもり。〃
〃おおっ、出ました、伝説の高校生デュオ孤独者（オルファンド) 、
けど２０年以上前に解散してんのやで。〃
後ろで様子を窺っていた宗久たち三人が目を丸くして言った。
〃オルファンドの歌って難しくないか、片方が４拍子で、もうひと
りが３拍子で歌うたりするんやろ。〃
〃初期の頃の歌は造りも単純で歌いやすいと思う。僕は〈午前一時
の郵便馬車〉をやる。ハモったり輪唱したりいろいろできてええや
ろ。〃
和明が自信たっぷりの顔をした。隣で事の成り行きを見守ってい
た宗久が満を待して立ち上がった。
〃俺はリチャード マークスの
ッドソングのオンパレードにはならんわけやから。〃
〃宗ちゃんは作詞もやるわけやな、頼もしいなあ。〃
上機嫌の和明がにやにやしながら周囲を見回したあと学のほうを
見て
〃学ちゃんは当然〈とんぼ><ふきのとう〉をやるんやろ。ハモる部
分は任しといて。〃
〃うん、僕はやっぱ７０年代のフォークが中心になるかな。皆の前
で歌唱力はあまり自信ないから、マネージャー兼でもいいんやけど。〃
ノリノリになった仲間の動静を黙って窺っていた康敏が腰を上げ
た。
〃富樫君は随分と謙虚なんやね。けど僕等こうして集まってみると
実に人材豊富やな、て改めて思うわ。〃
〃ホンでグループのリーダーはどうするん、康さんがやるんか。〃
飲み物の容器を手際よく片付けながら和明が言った。すると寿光
が、
〃そうやなあ、適切な判断力も冷静さも備えとるしな。〃
と相槌をいれた。
〃おいおいおい、僕の定位置はナンバー2 や、いうたやろ。僕等が
これからやろうとしてるんは何をいうても芸能活動や。そうなると
安定経営よりも意外性、異能力者振りを発揮する人間が一番やと思
うな。それはリーダーであってムードメーカーでもあるということ
………〃
〃つまり……〃
皆が紊得の表情で和明のほうを見た。
〃な、なんや。もう、どうなっても責任とれんで。〃
和明は満更でもないという顔をしていたが、仲間たちの信頼が厚
いことは各自の合わせる楽器の鳴りかたで伝わっていた。
〃そうや大間君、君はどうする、何を歌う。〃
〃俺はドラムス担当やしメインヴォーカルは考えてないんや。〃
〃いや、そない遠慮せんでもええんとちゃうか。昔からドラムスが
メインヴォーカルやっとったバンドは意外なほど多いさかいな。ビ
ートルズもイーグルスもアリスもゴダイゴもＳＡＳ（サザン) もや。
濱田省吾がドラム打っとった愛奴でもそうやった。〃
〃流石やねえ、ノブさんは。早くもリーダーシップ発揮とはなあ。
けどノブさんが主役務めるバンドやったら文化祭まで十二分に楽し
めそうや。けど文化祭やったら次はどうする。ティーンエイジコン
テストにエントリーするんか。〃
〃その辺も考えておかんといかんよね。ノブさん、うまく纏めてよ。
それとあとで俺にもシーケンサ貸して。〈君に捧ぐラヴソング〉な、
さっきいうた
宗久が時計を見た。
理数科３人と普通科４人で威勢よく活動を開始したものの五月に
入ると〈ｂ〉に集うメンバーもひとり抜けふたり抜け……、意外に
も真っ先に足並みを乱したのは康敏だった。最近特進塾へ通うよう
になったと漏らしていたが理由はそれだけではなかった。
〃ねえノブさん、知ってる。康さんが進路のことで悩んどるてな。
工学系にしようか、それとも音大に行こうか。〃
〃その話やったら中学のとき、もうしとった。なんでも１０オクタ
ーブの巨大なピアノを開発するんやて、演奏技術も人類の体型も格
段に発達しとるから、いうて景気のいいこと言うとった。２１世紀
は灰色熊もピアノを弾くようになるかもしれへんのやて。もう康さ
んのユーモアセンスには驚かされるわ。〃
〃けど熊云々の話はノブさんが引き出したんやろ。〃
練習に出てこないといえば寿光もここ暫くご無沙汰である。これ
には宗久も賢太朗も態度を硬化させている。
〃アベちゃんは俺らのこと舐めとんのとちゃう。プロデビューが近
づいてるからいうて、そりゃないよな。〃
宗久の指摘するとおり確かに足並みは乱れてきているのだ。店の
鍵は和明が預かってはいるが、練習に欠かさず参加するのは賢太朗
と宗久、学と和明の普通科メンバーである。しかし和明はあまり気
にした様子を見せていない。
〃そういやＦＭで〈飛行少年〉が流れてたな。あべちゃんらしい、
いい歌やった。確か芸吊は平仮吊で（あべとしみつ) にするんやて。
いよいよ本格スタートやなあ、あべちゃんも。〃
〃ほんま脳天気やな、ノブさんは。このままでええんか。もうせっ
かくバンド組んだいうんに、バラバラになってしまうんとちゃう。〃
宗久は縁起でもないことを言って上満をぶちまけている。
〃僕は別に構わんと思う。今は各自で努力して技術を高める時期と
思うとるさかいな。駆け出しの段階からやれ結束力だの、やれ絆だ
の言うとるようじゃろくなことにならんやろ。僕をリーダーとして
認めてくれた皆んなには感謝して言わせて貰うとやな、康もあべち
ゃんも奮闘中や、いうこと。機が熟したら戻ってくるて、大間君も
そうや。僕はそう信じとる。僕かてワンゲルの合宿で抜けるかもし
れんのやから。僕はなあ、ブラジルのサッカーチームみたいな実力
者が目白押しの、そんなバンドにしたいと思うとる。今の今から小
さい纏まって、音楽の方向性の違いとか些細なことで、脱退だの解
散だの、そんないじけたグループには絶対しとうない。せやからあ
んまり背筋張らんと、極端な話いまのままの雰囲気でええ、ちゅう
こと。〃
伝えたい 秘めた胸の想い
ありきたりの言葉だけでも
口にだせば露と流れてしまう
君に捧ぐ ラヴソング
和明の意見には紊得した宗久が上機嫌で自分の持ち歌を口ずさん
だ。
一学期も終業式間近になるとメンバーは再び集まるようになった。
康敏も寿光も大間三朗も以前より堂々としたいでたちに見えた。
七人が揃った店のモニターテレビの自動電源が入り、画面越しに
〈ｂ〉のオーナー山際諫が挨拶した。というのも彼らの音楽活動に
興味が涌いたということで、自分が君達のマネージャーをやっても
いいと言っている。どういう風のふきまわしか、自ら重い腰を上げ
るというのである。
案の定演奏技術に関しては細部に至るまで手厳しかった。セミプ
ロ級の寿光とて容赦なく、宗久は演奏中必要以上にネックを振る癖
を指摘された。そして極めつけはリーダー格の和明に対してであっ
た。
〃小田君は動き過ぎや。君を見てるとまるで芸人や。林家三平にな
るつもりか。歌はもう超一流なんやから、あんまり小細工せんほう
がいい。なんやいうても君はグループの顔なんやからな。〃
夏休みになると音楽室での練習も再開した。
〃何をいうてもＺ高祭を盛り上げる目的でやっているのやからな。
建前では、やけど、堂々とここ使わせてもらいましょ。〃
宗久は力強く言う。
〃けどノブさんは高校卒業したら群馬の親戚の家に引越すて本当な
ん。〃
〃うん、うちは兄貴も滋賀県内で教員になったし、家のほうは大丈
夫いうことで、親父が長いこと心配してた妙子伯母ちゃんの老後を
僕がついててみてやれ、いうことなんや。僕は赤ん坊の頃からおば
ちゃんとは仲良しで、親代わりいうか、親以上の存在に思うてた時
期もあったし当然の成り行きやと思うとる。〃
〃けどノブさんが遠くに行ってまうとなると、寂しいなるな。俺達、
高校卒業したあともこうやって、たまに集まってバンドやれたら、
て思うとったんやけど。さすがに群馬は遠いな。〃
寿光が諦めたようなことを言っている。
〃ノブさんは群馬の大学にいくの。〃
〃う～ん、群大に高崎経済大、前橋文理大。上州商科大もあるで。〃
康敏と三朗が勝手に人のお節介をはじめてはにやけていると、今
度は賢太朗（ミズケン) が割って入った。
〃上州商科大学って、あの微蝶倊数郎（せせりばいすろう) 教授が
おるとこやろ。国粋主義のアブネーマルな学者って噂や。他にも蓑
背美三郎太（みのせびさぶろうた) とか唐獅子落盤（からじしらく
ばん) とか右傾化した研究者の溜まり場、いう感じ。〃
〃その先生方は昨期で全員退官したんやで。今期からは産業経済の
川井彰伸教授と歴史考古学の左島一男教授が赴任してる。実をいう
と僕も上州商科大は本気で受験を考えてるんや。〃
和明は大真面目な態度で抱負を語ったが、突然何ごとかと叫んだ
〃あ～っ、忘れとった。図書室に川井教授の論文の複写を頼んだま
まやった。僕ちょっと行って貰うてくる。〃
〃ほいたら俺達先に行って待ってるさかいな。遅れてでもちゃんと
店にくるんやで、リーダー。〃
〃ああ判っとる、すぐに行くわ。〃
前山に 桜が咲いて春が来て
早口駅から岩野目あたり 岩瀬橋から下川沿へ
鉄工所を横目に見やり 君は笑って指し示す
小林多喜二はここで生まれた………
和明が〈ｂ〉に着くと皆が熱くなって各自の持ち場に励んでいた。
〃学ちゃん、気合い入ってるね。〃
〃ノブさん、論文て何のやつ。〃
〃これ、さっき言うた川井教授の。新潟と長野の県境に秋山郷て山
深い村があるんやけど、江戸時代の終わり頃大飢饉があったんや。
秋山郷はそのころ新潟側が長岡藩領で長野側が幕府直轄の、いわゆ
る天領やったわけ。飢饉の被害が信州側に偏ってるのが紊得できん
で、天領いうたら四公六民を二公八民にする措置をするもんやとば
かり思うとったから。それで図書室で文献捜してたら見つけたんや。〃
〃すごいな、ノブさんはもう大学でやるような研究をはじめてるん
やもんな。〃
〃さてさてと、きょうは諫さんのメッセージ来てるんかな。〃
康敏がモニターテレビのスイッチをいれた。すると映しだされた
のは見たことのないミュージシャンの動画であった。
誘惑の谷を吹き抜ける 麦藁帽子をまきあげ
高原の陽溜まりに時はとまどい
幸せ感じるその瞬きが誘惑（アリュア) の淵へと落ちてく
僕にとっては一世一代の大勝負なのさ
考えてごらん 君に残された命の叫びを
日記に書きとどめるなどできないはず
僕には〈風立ちぬ〉は綴れない
酒を煽り世を恨み 嘆くだけだろう
風立ちぬ！
Le vent se l'eve, il faut tenter de vivre
見てごらん あの二人連れ
木立を懸命に探し物だね 国蝶の羽ばたきが宙を舞う
二円五十銭のはかない夢物語
風立ちぬ！
Le vent se l'eve, il faut tenter de vivre
あの二人連れが遠くの山を指さして
いただきの数をかぞえてるんだね
君は彼らのもとへ行って 山の吊の由来を教えておやり
〈八つ〉とは８っつのことじゃない
末広の八こそが山の姿なのだと
〃誰、このニイちゃん。格好ええなあ。〃
和明が半ば興奮気味に画面を見入ったままで言った。
〃えーとプロフィールがでてるわ。長野県立N 北高三年、嶋崎浩ニ
やて歌は、〈風立ちぬ〉やて。〃
〃けど俺達、ティーンエイジコンテストにエントリーしたら際限な
くこんな強者（つわもの) と対決せないかんのとちゃう。もう有象
無象に出てくるやろし、しんどうなってくるわ。〃
〃あべちゃん、それは違うで。確かに対決するて考えたらしんどく
なるかもしれん。けど毎日、場合によっては30分刻みでこういう感
動に触れられるかもしれへんのや。僕は今から胸が高鳴るなあ。
ティーンエイジコンテストにはそれこそ僕等みたいな若いミュージ
シャンが雨後のタケノコ雨前のサクランボのように………〃
〃何やそれ。〃
〃サクランボの産地の山形の旧国吊の羽前と、収穫を梅雨入り前に
するのを掛けたんやろ。いつもいつも寒々としたユーモアセンスや
な、ノブさんは。〃
康敏が勢いづいて横の二人に耳打ちした。
〃阪急電車でノブさんとはじめて知り合うたときな、僕が自己紹介
で康敏です、〈康〉と呼んでください、いうたら、ノブさんが１０
秒、いや２０秒くらい考えこんでな。何て言ったと思う。〃
〃その話やったら聞いたことがある。ロンやろ、ロン。〃
笑いが更に笑いを加速させていた。当の和明は素っ頓狂な顔をし
て、
〃なあ、バンド吊どうしよう。まだ決めてなかったね。〃
呼応するように宗久が和明に歩み寄った。
〃実は吊案があるんや。この間ノブさんが群馬に引っ越す話がでた
とき、皆で遠いなあ、いうて悲鳴をあげたやん。俺も最初は遠いと
感じた。東京で新幹線乗り換えて更に向こうや、なんてな。
けど地図見ててそうでないことがわかったんや。群馬の高崎も、ノ
ブさんの伯母ちゃんが住んどる新町も京都と江戸を結ぶ中山道の途
上、江戸のだいぶ手前なんや。
ノブさんが群馬へ行っても俺達は中山道の一本のみちミチの上、
いうことでバンド吊は〈オンロード〉でどうやろ。〃
話を聞いていたお互いに顔を見合った。
〃ON ROAD ねえ、異議なし。松ちゃんに座布団５枚。〃
〃俺、松ちゃんに酒奢るわ。おっとこれ内緒な。〃
〃けどノブさん、ええんか。もう１０時やで。ノブさんの家、伊賀
寄りなんやろ。〈拓殖〉行きの最終電車逃してまうんとちゃうんか。〃
〃何や、その〈拓殖〉って。〃
〃俺のクラスの女子が柘椊（つげ) 駅を読み間違えたんや。そした
らそれがいつの間にか流行語になったん。もう爆笑もんやで。〃
和明が落ち着きを払ってみせた。
〃そのタクショク行きの電車は深夜零時まで出とる。尤も僕が下り
る木楽野は午前様なんやけどね。なんか手先が痛あなってきた。〃
あまりに興奮して弦を押さえていたものだから、左手の指の肉刺
が潰れたことにも気がつかなかったのだ。
完
月刊ＷＥＢ風 ２０１６年６月号 通巻第８７号
［原稿用紙２６枚］
