東烏山学園高等部校長職（６）
大堀敏靖
テスト復活の考えを何とか伝えることがでた彩香は
ホッとした。
彩香の提案に対して、寺島教諭が集まった生徒たち
に意見を述べるように促すとさすが執行委員たちはリ
ーダーだけあって手が何本も挙がった。反応があるだ
けでも彩香は嬉しかった。
一年の男子に彩香は指名した。
「えーっと、僕は両親がトンウーの卒業生だもんです
から、当然のようにここに進学したんですけれども、
将来は東大をめざしてがんばりたいと思ってますから、
テストの復活には大賛成です。どうせ塾ではテスト攻
めでシゴカレてますから」
賛成意見だった。
次にちょっとヤンキーがかった二年の女子にあてた。
「それって、詐偽に近いんじゃないんっスか。テスト
ないっつーから入ってきたのに、やっぱテスト始めま
すって、二階に上がって目薬さすようなもんじゃない
っスか」
「は？」
「バカ。それを言うなら、二階に上がって梯子をはず
されたようだ、だろ、二階から目薬と混じってるぞ」
横にいた相方の男子が突っ込みのようなフォローを
した。会議室に失笑がもれた。
「とにかく少なくともテストがないっつーことで入っ
てきたあっしみたいなおバカ生徒がいる間はやるべき
じゃないと思いまーす」
わずかに拍手が起こった。
髪を七三に分けた昭和風の三年の男子が発言を求め
た。
「はい。何事も善は急げといいます。そんな悠長なこ
とを言っていたら六年後、七年後と言うことになりま
す。こうして提案がなされた以上、それは潮時だとい
うことです。学校がテストを行わないというような黄
身のない目玉焼きのような状態が続いていいはずはあ
りません。僕の友人は何人も高校になる段階でここを
去っていきました。物足りなかったからです。他の進
学校で鍛えられた方が志望大学に入る確率は高いと考
えたからです。いいことは躊躇していてはいけません。
すぐに実行すべきです」
「ちょっと待ってよ。この学校はあんたみたいなクソ
真面目な勉強イノチの人間ばっかじゃないからね」
三年生女子が勝手にしゃべり出した。
「この学校が好きで、テストもなくて伸び伸びとスク
ールライフをエンジョイしている生徒が、まぁ私が思
うには三分の一は確実にいます。一握りの勉強イノチ
たちのために簡単に制度を変えられてたまるもんです
か。テストがない学校があったっていいじゃん。何が
悪いんですか。理由を百字以内で述べよ」
「だいたいその言い方自体テスト風の言い回しでテス
トを求めているってことではないですか」
「皮肉で言っただけ。テストがなくったって学校は成
り立ってきたじゃん。なんで今更復活しなきゃいけな
いのか、もう全然ワケわかんなーい」
やはり反対はある。執行委員の中でもこのように意
見が割れるのであるから、一般の生徒なら尚更である。
賛成、反対に分かれて大揉めになることは予想される。
全校生徒投票を行って決める事態になるかもしれない。
たとえそれでテスト復活が決まっても反対派はゲリラ
的に抵抗運動を行ってテスト･ ボイコットなどを行う
かもしれない。前途は多難だと彩香は思った。
執行委員の中でも一番イケメンでサッカー部エース
と言われている三年生男子がやおら手を挙げた。指名
する。
「はい。オレはテストは悪くないと思います。文字通
りテスト、試すってことですから、学力がどれだけつ
いたかってことは時々試されてもいいと思うんッスよ。
で、やったらいいんッスけど中にはやりたくないって
子もいますから、最初は希望者だけやるっつーのはど
うッスかね。暫定的に」
年下の女子達が目をハート型にして聞いていた。こ
の男は言い終わると振り返ってその女の子たちにピー
スサインをしていた。頭は悪そうである。
その意見は賛成意見の一つだが、方法論だろう。賛
成と反対とどちらでもいいという三者に生徒は分かれ
そうである。クラスで討論してクラスの意見をまとめ、
学年で議論して学年の意見をまとめ、その上で全校集
会をして生徒としての意見をまとめて、最終的には校
長や理事会が決めることだと彩香は思った。生徒が騒
いだって決定する権利はない。ただ、学校の悪い噂が
広まって入学志願者が減れば学校としても経営上困る
だろうから生徒、保護者の意見は無視はできないはず
である。
「会長。提案が二つあるっておっしゃってましたよね。
もう一つは何ですかぁ」
彩香に「尊敬してます」と告白してくれた一年生の
肥満体で眼鏡、ツインテールの女子が言った。この子
はストーカーのように彩香の言動をチェックしている
ので会議中も細かなことを指摘してくれる。
「はい。もう一つあるんですが、じゃあ、テスト復活
についてはもっと意見を出してもらって皆が納得する
方向で進めるっていうことになりそうですが、それで
いいですか」
大半の者が賛同の拍手をしたが、中には、
「もう決まってンじゃね？」
「話し合ったって意味なくね？」
そういう声が聴こえた。が、彩香は取り合わなかっ
た。校長や彩香はテストを復活させようとしている。
会長の意思として、会長をやった証として業績を残す
ためにテスト復活を絶対に断行しようとしている。反
対意見は当然ある。しかし、やり抜かねばならないの
である。反対者を蹴散らし、踏み潰してでもやらなけ
ればならないのである。
「昼休みもあと少しですから手短に二番目の提案を話
したいと思います。それは七月に全校でクラス対抗の
水泳大会をやりたいということです。五月の球技大会
や十月の体育祭もありますが、伝統的にスポーツに力
を入れているわがトンウーとしては陸の上だけではな
く、水の中でも身体を鍛え、そして精神を逞しくする
必要があると考えます。また、プールに全校が集まる
ことはグラウンドよりもコンパクトになってより全校
の一体感が深まると思うのです。で、是非開催したい
と思って校長先生の了承はすでにとってあるんですが
皆さんの意見をお伺いしたいと思います」
またサッと手が挙がった。執行委員たちは反応がい
い。打てば響くという感じがする。
坊主頭の一年生男子にあてる。
「えっと、僕は賛成です。なぜかというと水泳は楽し
いからです…」
そこで間があったので「それだけかよッ」と突っ込
みが入って笑いが起こった。
「…それにクラス対抗だとクラスの団結が高まります。
クラスの団結を高めることは何度あってもいいと思い
ますから水泳大会は賛成です」
ヤンキー風の二年生女子にあてる。
「どっちでもいいんですけど、代表を出すっつー的な
やり方なんスか？あっしは泳ぎはマジダメなんで、あ
っし的には水泳大会なんてチョーカッタルって感じな
んスけど、クラスの団結固めるのが目的なら、盆踊り
大会とか料理コンテストとか他にも方法はあると思い
まーす」
三年男子が発言する。
「はい。僕は水泳大会の開催には賛成ですが、夏休み
にしっかり練習して競うほうがいいと思いますから、
九月のほうが妥当だと思います。しかし、行事が一つ
増えると執行部は忙しくなって、トンウー祭もあるし、
たいへんだと思いますが、イマイチその必然性がわか
らないので会長からさらにくわしい提案の理由説明を
お願いしたいと思います」
彩香がそれらを受けて発言する。
「まずなぜ水泳大会なのかということですが、昨年プ
ールが新設されてまだ花を添えるようなイベントをや
っていないということが一番大きいと思います。それ
にプールサイドに裸に近い状態で全校生徒が集まって
一体感が深まると思ったからです」
「会長、ちょっとエロいねー」
二年男子からガヤが入ってまた笑いが起こった。
「確かに水泳が苦手な子、プールのときはたいてい見
学して泳がない子もいるのは知っています。でもトン
ウーの歴史では戦前まで海岸まで行って禰彦島まで遠
泳をずっとやっていたそうです。だからトンウーの先
輩たちは河童のように泳ぎは得意でプールのような狭
いところでなくて逞しく海で身体を鍛えていたんです。
大自然と一体となって稀有壮大な英気を養っていたん
です。そういう逞しさが今の私たちにはちょっと足り
ないと私は思います。ですから少しでも先輩たちにあ
やかる意味もあって水泳大会をやりたいと思ったので
す」
彩香は自分でもうまいこと言えたものだと思った。
本当は自分が会長をやった証に業績をのこして置きた
いという個人的な理由がほとんどだった。それは言え
ない。しかし、それにしてもやること自体は今奇しく
も自分の口からすらすらと流れた理由からまんざら外
れたものでもなく、無意味なことではない。世の中で
行われている様々なイベントというものは、大抵、純
と不純が五分五分に入り混じった動機でその純が大半、
あるいは全てと誤解されて行われているのだろう。
一同は納得したように見えた。
「それでは時間ももうありません。授業が始まってし
まいますから、その線で進めるということでいいです
かぁ」
これには特に文句を言うものもなかった。
「詳細なツメはまた執行部で決めて会議にかけます。
今日はありがとうございました」
水泳大会は実現しそうだ。水泳の嫌な生徒はギャラ
リーとして見ているだけでいい。ゲリラ的に反対活動
が行われるとは思われない。
しかし、テスト復活の方は波乱が幾多も予想された。
これは一筋縄ではいかない。しかし、こんな大きな改
革は彩香たち生徒の手に余るもので大人に任せるしか
ない。校長と教頭が進めようとしていることだ。それ
に理事会が、半村校長を推しているのだから理事会も
賛成するだろう。ほぼ決まったようなものだ。保護者
だってテストを復活させて学力を上げることに反対す
る人はいないだろう。問題は勉強の嫌いな生徒をどう
説得するかで、それは彩香の力量に一任されるかもし
れない。しかしゲリラ活動といったって生徒の立場で
やれることといったらたかが知れている。授業やテス
トをボイコットすれば退学、停学、謹慎処分を受けて
懲らしめられ、学校に在籍できなくなる。生殺与奪の
権利は学校側にある。だとすれば、テストについては
もういい。このまま自動的に動く推移を見守るだけだ
ろう。それで山脇彩香生徒会長の業績となる。一応自
分も提案するために校長室に談判に出向いた、そして
今日こうして執行委員たちを前にして演説したのだか
ら功績は認められて学校史に名を記されるかもしれな
い。そうでなくとも自分の中で「やったー」という達
成感を心に刻むことができる。
水泳大会の開催とその成功に全力を傾けようと思っ
た。
仲間達の反応を知りたいと思い、後川卓郎にメール
で今日のことを知らせた。水泳大会を提案してくれた
のは卓郎だった。するとすぐに電話が掛かってきた。
「マジで。チョーすげーじゃん。オレの提案が通った
ってこと。やりましたね。テストの復活もスゲー。学
校の経営を変えちゃうんだからね。彩香はやっぱ、タ
ダもんじゃねーよ」
「あ、でもそれは校長や教頭も進めてることだから」
「ふーん。じゃ確実にテストは復活するってこと？」
「たぶん」
「ところでさ、彩香、今度映画行かない？」
「え？ ナニ、急に」
「雨宮今日子の『桜坂の恋』、見に行かない？」
男と映画を見に行くことなどまるで彩香の頭の中に
はなかった。『桜坂の恋』は前評判の高い映画でテレ
ビでも予告を流しているので見たいとは思っていた。
しかし、そんなことより水泳大会やテスト復活を考え
たい。
「ごめん。今それどころじゃない。私の会長職の正念
場だから。そのことに専念したい」
「……」
スマホの向こうで卓郎が何も言わないので相当堪え
ているかもしれないとは思ったが、浮ついたことして
いる場合ではないと思っている。かなり間があって、
「そうだよな。彩香忙しいもんな。息抜きにでもいい
と思ったんだけどさ」
と言ってくれたので救われた。そのまま電話を切ら
れたら放って置けなくなる。
「ごめんね。私が会長の任期が終わったら行こうよ。
約束する」
「おお。ところでさ、彩香、足島とは付き合ってるの」
そんなこと、どうでもいいじゃんと思う。
「だからさ、卓郎、私は男の子と付き合うとか交際す
るとか今そんな余裕はないし、頭の中は会長の仕事で
一杯なんだって。わかってよ」
「おお、わかってるよ。だけどさ、オレと足島とどっ
ちがいいのか、ちょっと聞いてみたかったからさ」
はっきり言ってどちらもなんとも思っていない。恋
なんかしていない。面倒くさい。もうこの電話を切り
たい。
「どっちも好きだよ。大好き。これでいい？」
恋する男がこんな言い方をされて満足するはずはな
い。「卓郎が好き」と言って欲しかっただろう。
「なんか面倒くさそうだな。もういいよ。じゃあな」
卓郎の方から電話を切ってしまった。後味の悪いも
のが残った。しかしそんなこと構っていられない。会
長としていろいろやらなければならない立場にあるの
だから少しは考えてもらわないと困る。恋をするのは
いいが、相手を自分の思い通りにして映画に付き合せ
て、自分のことを好きだといえと強要するのは、エゴ
でしかない。反省してもらわないと困る。私は悪くな
い、と彩香は自分に言い聞かせた。ムリして卓郎に付
き合って映画に行くには自分には使命があり過ぎた。
水泳大会をまず成功させなければならない。
○ ○
学校を再生するために私はあらゆることをしようと
考えていた。前任の鳩川が自由放任主義でガタガタに
箍（たが) を緩めてしまったところは引き締めなけれ
ばならない。まず生徒の心や意識傾向を変えなければ
ならない。それにはやはり形を整えなければならない。
ルーズな服装に茶髪、ピアス、携帯、スマホの自由な
使用、教師に対するタメ口、くだけた呼称、私にとっ
ては許せないものばかりだった。一気に禁止令を発令
しても猛烈な反発が予想されて返って混乱するばかり
だろう。
まず校長である私が彼ら生徒たちの信頼を勝ち取ら
なければならない。何でも許す、若者の気持ちがわか
る校長先生という前任の鳩川が勝ち取った生徒の評価
に匹敵するかそれ以上の評価、信頼、尊敬の念を勝ち
取らなければならない。「立派な校長先生」「尊敬に
値する校長」「校長先生のようになりたい」と生徒に
言わしめるような校長にならなければならない。少な
くともユッキーと呼ばれて肩を叩かれてニヤニヤ笑っ
ているような校長であってはならない。親しみはあっ
ても敬意はない。威厳と愛情が必要である。
教場で教える立場にない私が週一くらいに全校朝会
であいさつするくらいで彼らの信頼や尊敬を勝ち取る
ことができるのか。生徒におっといわせることをリス
トアップしてみた。
① 全校生徒の名前、生年月日、住所、家族構成、所
属の部活、学業成績、志望校をすべて頭の中にインプ
ットする。
「君は大野純平君、十月十日生まれ、てんびん座、本
町一丁目に住んでいて、まだ結婚していないおばさん
も同居しています。サッカー部のゴールキーパー、こ
の間の中間テストは日本史が伸びましたねー。数ⅡＢ
もまあまあでした。稲応大学も射程距離に入ってきま
したねー」
校門で登校して来る生徒一人ひとりにそう声をかけ
れば、「校長スゴ過ぎ。オレたちのことを全部知って
いる」ということになって尊敬されるだろう。しかし、
そんなこと続くかどうかあやしい。いっぺんに大勢が
登校してきたらとても一人ひとりにそこまで声をかけ
られない。せめて顔と名前だけでも覚えて時折名前を
呼んで声をかけよう。それだけでも違う。
② 校長室でのデスク･ ワークはなるべく手短に片付
けて、ジャージ姿になって校内を歩き回る。少しでも
生徒と接する機会を持ち、積極的に話しかける。迷惑
に思われても気にしない。ゴミや落ち葉を拾って歩く。
「校長先生が私の腕の包帯を見て、どうしたと声をか
けてくれた。なんか嬉しかった」「校長はジャージ姿
で校内を歩き回って物を片付けたり、掃除したりして
いる。学校のことを本当に考えてくれている」
しかし、生徒の中に入りすぎれば前任の鳩川と同じ
で友達以下となってしまう。その匙加減は考えないと
いけない。敬意と信頼を勝ち取らなければならない。
③ 参加自由の道徳講話の時間を毎週設けて、話をす
る。
最初はサクラに来てもらって頭数をある程度そろえ
る。話の内容を練って高校生の心を掴みつつ、為にな
る話を続ける。
話のネタはこれまでの教員生活でいくつか持ってい
る。「校長の話」というネタ本もある。週一回なら年
間四十回くらいなんとか話せそうである。私ができな
いときは教頭の大堀に代ってもらえばいい。彼なら中
味はなくとも生徒に受けるギャグ満載の話をしてくれ
るだろう。能の合間の狂言のようなものだ。
生徒が二、三人しか集まらなくても続けられる根性
がこちらにあるかどうかが問題なだけだ。続けていけ
ばきっとこちらの励みになるような何かがあるだろう。
それも三十年の教員生活で体験済みである。公園のゴ
ミ拾いを毎日やっていると手伝ってくれる生徒や保護
者、町の人々が現れ、市の広報誌に一面で紹介され、
評判になったことがあった。問題は自分が続けられる
かどうかである。
すでに就任以来、①と②は実践している。他の公立
高校に比べて生徒数は少なく一人ひとりの顔と名前は
ほぼ頭の中にインプットできた。写真と実際の本人と
で間違える生徒はたまにいるが、話しかけて会話を交
わした生徒はもう忘れない。毎朝校門に立って挨拶し
ている。
特に来客のない日はジャージに着替えて校内を巡回
し、ゴミを拾ったり、花壇の手入れ、木の剪定、草引
き、倉庫の整理など行い、授業をサボってたむろして
いる生徒に話しかけている。
今日も体育館ウラで座って煙草を吸っている女子生
徒を見つけた。喫煙はいけない。厳しく叱責しなけれ
ばならない。二人の女子生徒は就任初日に校長室に連
れてこられた山田榛名と福岡美音だった。山田榛名は
内面に仏性があるという私の話を受け止めてくれたが、
福岡美音はどこまでの反抗的で大人を敵視しているよ
うに見えた。二人とも家庭に問題がある。共通してい
るのは両親が離婚していることだった。大人が信じら
れない。子供の幸福よりも自分達のわがまま勝手を貫
いて生きているのが大人だという不信感がある。そん
な大人の言いなりになってまじめに授業に出ているよ
りも教室を抜けて煙草を吸って話していたほうが楽し
い。そういう気持ちはよくわかる。
「こら、君達そこで何をしてるんですッ」
わたしは声を大きくして怒鳴った。
「やべッ、校長だよ」
山田榛名は慌てて煙草を足元に捨てて靴で踏んだ。
しかし、福岡美音は平然と吸い続けていた。彼女の母
親は若い男を部屋に連れ込んで同居している。その新
しい父親と喧嘩ばかりしている。当然母親ともうまく
いっていない。それは同情に値する。
しかし、未成年の喫煙は法律で禁じられていること
で、それは叱らなければならない。
「福岡美音さん、バスケットボール部二年、地区大会
優勝を導いた功労者、青空町三丁目に住んでいる君、
タバコはいけません。法律で禁じられてますから」
私はなおも吸い続ける美音からすッと煙草を奪い取
って揉み消した。
何も言わずに校外の畑の方を見ている。
「山田榛名さん、バトンミントン部二年、本町一丁目、
兄さんは北高の秀才」
「ナニ？ なんでそこまで知ってんの。こわい、こわ
い。ストーカー？」
「やばいよね。ロリコン趣味か」
「一体授業はどうしました」
「サボってんじゃん。みりゃーわかんでしょ。かった
るい授業なんか出てられませーん」
「煙草はいけません。法律で禁じられてますし、健康
にもよくありません」
「でも、煙草吸うと落ち着くよ。煙草に火をつけると、
本当に生きてるって感じするし」
「それは私もわかります」
「わかるなら、ほっといてくださーい」
「ほっとけません。私も以前吸ってましたが、三十歳
のときに一大決意をして止めました」
「三十で？じゃあ、ウチら十七だからあと十三年は吸
ってていいじゃん」
「私が吸い始めたのは二十六のときです。十代に試し
に吸ってムセたときはこれが大人の味なら大人になん
かなりたくないと思いましたね」
「真逆じゃん。ウチら早く大人になりたくてしょうが
ないんだから」
「こうやっていろいろ注意されて干渉されるのがいや
なのはわかります。大人になれば自由にやれるから早
く大人になりたいっていう気持ちもわかります」
「じゃあ、許してくださーい」
「それはいけません。煙草を吸うときだけが生きてい
ることを唯一実感するときだなんていうのはどう考え
ても健全じゃありません」
「どうでもいいじゃん。ウザいよ。あんたと関係ねー
し」
福岡美音がそう言った。
「関係はあります。あなたたちは私の学校の生徒です
から」
「干渉されるだけなら迷惑だっつーの。言うことは決
まってて、わかりきった説教しかしねーし、大人は。
自分のこと棚上げてさ。言われなくても全部わかって
んだよ」
「じゃあ、止めなさい」
「何を」
「授業サボって、煙草を吸うことをです」
どこまでもとんがって反抗的な福岡美音は埒が明き
そうになかった。このままでは張り飛ばすことになる
と思った。張り飛ばすのも教育で、体罰も私はときに
よっては必要だと思う。口で言っても突っかかってく
る生徒は身に染みて自らの非を反省してもらわなくて
はならない。
ところがそのとき榛名が言った。
「わかりました。校長先生。ウチら授業に戻ります。
煙草も吸わないようにします」
漱石の木の中の仏の話やピグマリオン効果を理解し
てくれた榛名はそういってくれたので私は助かった。
反抗的な美音を張り飛ばさずに済みそうである。
「そうか。それはよかった。こんなことしていたって
楽しいはずはありません。しっかり授業に出てしっか
り勉強を見につけて立派になってください」
「でもウチらバカだからなーんにもわかんないよ。先
生達のしゃべっていることが日本語には思えないから。
スワヒリ語かタガログ語にしか思えないから、聞いて
いても眠くなるだけだから」
「それでも意味はあります。きちんと真面目に授業を
受けていれば何かを身体全体でつかんでいるはずです
から。出なかった人とは違います」
「寝てても」
「半分寝ている方が潜在意識には記憶がかえって入り
やすいので効果的なくらいです」
「爆睡は？」
「教室で本格的に睡眠をとるというのはムリでしょう。
浅い眠りのはずです」
「ハルナなんかヨダレ垂らして寝てたもんね。机から
糸引いてた、あはははッ、チョーウケる」
美音は手を叩いて授業に真面目に出ようという友人
をからかった。
「ウゼーよ、美音。オメーだって、口開けて寝てたと
ころに天井から蜘蛛が降りてきて口の中に入ったんだ
ろ」
「本当ですか。そんな漫画みたいなことが本当にあっ
たんですか」
「ウゼー、マジ、ウッゼー。しょーもねぇことカミン
グアウトしてんじゃねーよ。ムッカツクーッ」
私もおかしくて笑った。そして、私にも似たような体
験があったので話したくなった。
「私もね、学生時代に部屋で勉強していたら、ブーン
と音がしてほっぺたに何か止まったんですね。びっく
りしてすぐに払いのけたら、こんな大きなゴキブリで
した。背中の羽がテラテラと黒光りして机の上をすば
しこく走っていきました。飛ぶんですね。ゴキブリも」
「うわっ、キモッ」
「ムリムリムリムリッ、絶対ムリッ。、ゴギブリだけ
はマジでムリッ。変な話しないでよ、校長先生」
二人は思い切り顔を歪めて気持ち悪がっていたが、
和やかな打ち解けた空気ができたよう思った。私はふ
とこの二人に山脇生徒会長が推進しようとしている水
泳大会の話を振ってみる気になった。
「ところで今度生徒会が主催で全校水泳大会が行われ
ることになると思うんですが、どうですか、君たち、
二人とも運動神経は良さそうだから、水泳大会で青春
の花を開かせるっていうのはどうです」
「水泳大会？ 全校で？ 元気な人たちでやったらい
いじゃないッスか。トーナメントかなんかでやる的な
？」
「さぁ、私はそこまで詳しくは知りませんが、多分ク
ラス対抗のトーナメントでしょう」
予期に反して目を輝かせたのは美音のほうだった。
「水泳大会なら、ウチがんばれるかも。小学校のとき
県大会まで行ったことあるし」
水泳大会参加を通じて、このような退嬰的な日々か
ら脱して前向きに日々を送れるようになればそれに越
したことはない。美音が参加するとなれば榛名も何が
しかの影響を受けて生活が改善してくるかもしれない。
「それならぜひ参加してください。全校が見守る中で
活躍することができたらそれは爽快だと思います」
「それはイヤでーす。人に見られるのって好きくねー
し」
「クラスの皆が応援してくれれば嬉しいと思いますけ
どね。だれもいないプールで寂しく泳いでいるよりも
いいと思いますけどね」
「その方が気楽でいいでーす。でも、あたし、出るか
もしれない。なんか水泳大会って聞いたらメッチャや
る気でてきた」
「やれよ、みーおん。応援するよ。青春の記念になる。
高校生活のいい思い出にもなる」
「かもな」
私は授業をサボっていた二人といいコミュニケーシ
ョンを取れたと思った。地道にこういうことを繰り返
していけば学校全体がいい方向に改善してくるかもし
れない。
真面目にやっている生徒たちも半分くらいはいるが、
雰囲気に流されて真面目にできない生徒が半分で、そ
のうちの一割くらいの生徒が考えられない問題行動を
起こしていた。
ヤクザの男と付き合って妊娠してしまった女生徒が
いた。この生徒は背中に刺青が入っていた。女性の下
着を盗んで新聞沙汰になり、反省したが懲りずにまた
やってしまった男子生徒がいた。女子更衣室を盗撮し
た動画を仲間の間で公開していたのが発覚した男子達
がいた。その他カンニングや万引き、榛名や美音たち
のように授業をサボる、喫煙をする生徒というのは頻
繁にあった。危険ドラッグをやって酩酊状態になって
いるところを放課後発見された男女グループもいた。
その他、バイク無免許運転、他校生徒との喧嘩、飲酒、
いわゆるオヤジ狩りなどの恐喝、またひきこもり、不
登校、いじめというどこの学校にもある問題もあった。
生徒指導の広田に一任するにはあまりに負担が重か
ったので私と教頭の大堀、それに「鬼殺し」という異
名のあるオールドミスの田辺という女性教員で対策グ
ループを作った。
これは発足から十分に機能して、問題行動は減少傾
向にある。その気になれば学校は変わることを実感し
たし、自由放任という教育方針がいかに無責任なもの
かも改めて認識した。しっかりとして指導方針をもっ
て、教員が一致団結して生徒に対しなければならない。
生徒会長の山脇彩香もそういう私たちの方針に願っ
たり叶ったりのリーダーだった。
つづく
月刊ＷＥＢ風 ２０１６年１月号 通巻第８２号
［原稿用紙３１枚］
