モテキ月 二
大堀敏靖
翌日の夜、鈴木大和はファミレス「ジョイフル」で
伊能忠道と会った。ドリンクサーヴィスとポテトフラ
イを注文する。大和はカフェラテ、伊能はグレープフ
ルーツジュースを注いでくる。
伊能に新婚生活は楽しいだろうと尋ねる。
「・・まあな。しかし要求が激しい」
「細かいのか、嫁さん」
「生活上のことじゃなくて、夜な」
伊能がいうには、新妻はお嬢様女子大を出て、家事
手伝いをしていた控えめな大人しい娘だった。これな
ら家庭をしっかり守ってくれて、外でばりばり働ける
と思ったのだが、あにはからんや、なるほど家庭内の
ことは完璧にこなしてくれるが、夜は完璧を通り越し
て、絶倫とも言うべき貪欲さで伊能に迫ってきた。そ
れが毎夜で、最初は「昼は淑女、夜は娼婦」という理
想的な妻と思って喜んだが、毎夜寝かせてもらえず、
延々三時間は激しい相手をさせられる。流石に食傷気
味になってきたというのだった。
「うらやましい」
「たいていそう言われる。あんな美人奥さんに毎夜激
しく迫られるとは、なんてお前は幸せなんだと言われ
る。そりゃ、客観的にみればそうなんだろう。オレも
不幸だとは思わない。しかし、毎夜ではな。体がもた
ん」
「奥さんは淫乱か」
「たぶんそうなんだろう。好きものなんだろう。人は
見かけではわからん」
「拒否したらどうなる」
「機嫌が悪くなるだろう。まだ拒否したことないんで
わからん」
「忠道も好き者だからちょうどいいんじゃないか」
「今のところはいいが、男の一生のザーメン放出量と
いうのは決まってるらしいから、そのうち打ち止めの
赤い球が出てくるかもしれん。一ヶ月に牛乳瓶一本分
くらい出していると思う」
「マジか。そりゃ」
「できるならお前に代わってもらいたいと思ってこう
して呼び出したんだ」
「マジか」
「たぶんあいつは男なら誰でもいいんじゃないかと思
う。とにかく盛りのついた雌犬みたいになっているか
ら、誰にでも股を開くんじゃないかとオレは疑ってる
んだ」
「で、オレに奥さんに迫ってくれってか。まさかそれ
は九月三十日じゃないだろうな」
「なんでわかる。九月三十日にオレは東京に出張する
から、その日に誘惑してもらいたいと思ってた」
伊能は驚いた顔をしている。冗談ではない。それも
入れると五人の女になってしまう。
「それは困る。実はオレも忠道に相談したいことがあ
って来たんだ」
「相談？ 何」
「その九月三十日、仲秋の名月に当たるが、月に絡ん
だ女の誘いが四件重なった」
「四件。大和って、そんなにモテたか」
「いや、俄かにやってきた最初で最後のモテ期かもし
れん。分散してやってきて欲しかったが、一気にやっ
てきた。それで困っている」
一人ずつが抜き差しならないことを説明する。
「成程。そういうことか。そりゃ、大変だ。なら、オ
レの奥さんのことは別の日にということで、一つずつ
解決して行くしかないな」
「解決できるか」
「身体は一つ。四人一緒に会うか、分身の術でも使わ
ないことには物理的にはムリだから、消去法で行くし
かない。まず会った事もないＮＨＫの美人はオレが代
りに会う」
「えっ、そりゃまずいよ。バレたらオレの首が危なく
なる」
「なら、その人にしろよ。話は終わり」
仕事を優先するならそれが結論かもしれない。出世
の道が開け、ＮＨＫの美人アナと結婚できるならばそ
れに過ぎた話はない。しかし、結婚できると決まった
わけではない。気に入られなかったら意味はなくなる
三人の女を裏切って悲しませ、優先した女に簡単に袖
にされたら、ただの愚かな嫌な男になる。「結局出世
か」「自分が大事か」と自分を責めることになるだろ
う。
「わかった。ま、忠道の提案を聞こう」
「そして次に誤魔化せるのは喫茶コンパルの女給だろ
う。これも別の男を派遣する。大和の弟の武蔵に頼め
ばいい」
「えーっ、弟に」
「背に腹は代えられん。お前たち兄弟は本当に良く似
ている。双子と思うくらい似ている。中味はかなり違
うが」
「そこが決定的にまずいと思うけど」
「良く言い含めて演じてもらえばいい。演劇やってた
んじゃなかったっけ、弟」
「やってた」
「問題は元カノと教え子だな。どっちにする」
「どちらも捨てがたい」
「ならオレが決めるぞ。教え子にしろ」
「えっ、なんで」
「一度振られた女だろ。そんな勝手な申し出は袖にし
ていい」
「しかし、それはオレが結婚を考えている彼女の気持
ちをわからなくて、煮え切らない態度をとっていたか
らであって・・・」
「なら、元カノにしろ」
「えっ、でも『かてきょう』のあの子はずっとオレの
ことを思っててくれて、俺のために主役を演じる晴れ
舞台に行かないわけには行かないと思うけど・・・」
「じゃ、教え子にしろ」
「どっちなんだ」
「それはお前が決めろよ」
「決まらんから相談してるんだ」
「会場はどこだ」
「三季シアターと厚生年金ホール」
「じゃ掛け持ちしろ」
「そうか、行けないことはないな。しかし、その後付
き合ってくれと言われてる」
「それは別の日にしてもらえばいい。その日をクリア
してもこれからどちらかにしぼってつきあっていかな
きゃならん。今からはっきりさせといたほうがいい」
伊能のアドバイスはもっともだった。しかし、今は
決められないのでなんとか九月三十日を乗り切ること
しか考えられない。
「ありがとう。かなりすっきりした。心の中が仕切ら
れて整理できたみたいだ。後は自分で考える」
「そうか。じゃ、オレのワイフのことだけど、明日の
晩、誘ってくれないか。オレは明日も出張で沖縄に行
くから、友人ということで上がりこんで泊まっていっ
てくれないか」
「えっ、そんな図々しいことできんよ」
「友人が来るから泊めてやれということは言っておく
から、頼む」
「頼むって、お前、オレと奥さんが変なことになって
もいいのか」
「いい」
「いや、よくねーよ」
「じゃ、よくない。しかし、男なら誰でもいいのか、
試してほしいんだ。どうしても」
「試してどうする」
「お前が拒絶されれば安心する」
「しなかったら」
「単なる淫乱だ」
「そうだったらどうする」
「淫乱妻として割り切るしかない」
「答は見えているような気がする。オレはきのうから
どういう訳かモテ期に入ってしまって、男のフェロモ
ンが発散されている。奥さんは必ずオレの方に靡いて
くるだろう。それでいいのか」
「よくないけど、いい」
「なんだ、それ」
「とにかくこのままではいけないんだ。わかってくれ。
あれはどう考えても度が過ぎている。あそこまでいく
と疑っていい。それくらい激しい」
「それは夜だけで、昼間は普通ならいいじゃないの」
「そうかな。そのうち昼間も挑んでくるかもしれん」
「そんな悩みは贅沢というもんで、一所懸命お前を愛
してくれてるんだろうから、かわいそうじゃないの。
疑っては」
「お前は実態を知らないからそんなことを言う。だか
らそれを共有してもらいたいから、こうして頼んでる
んじゃないか。三時間以上も激しく求められて、責め
られたらたいへんなんだぞ。一回や二回ではおさまら
んのだから」
「五回くらいか」
「それくらいは要求される」
結婚式で見たあの控えめそうな清楚な花嫁がそんな
激しいとはどうしても信じられなかった。女性が見か
けとはそんなに違うということを確かめたい気もした
「わかった。じゃ、明日伺うことにしよう。どうなっ
てもいいんだな。成り行きに任せて、奥さんと変なこ
とになってもいいんだな」
「いい。自然にして、雰囲気に合わせて、流れに身を
ゆだねて、行くべき方向へ行ってくれればいい。ムリ
なことはせずに、欲望が起こればそれに従い、起こら
なければそのままにして、不自然なことはしなくてい
い」
「わかった。その代わり、九月三十日、代りにお見合
いして自然に破談の方向に持っていってくれるな」
「承知した。しかし、破談にしていいのか。局アナな
んてめったにないいい話だ。それにした方がいいんと
違うか」
そういわれてみればそうである。もったいない話か
もしれない。しかし、仕事上から湧き上がった話で何
か裏があるかもしれない。単に利用されているだけか
もしれない。どう考えても美人アナウンサーと自分で
は不釣合いであろうし、結婚生活を想像してみると肩
が凝りそうである。
「ここは欲を出している場合ではない。四人から言い
寄られて、女難とも言える状況であるから、余計な欲
望は峻拒して局面を打開していかなければならない」
「政治家のようなことを言う」
「よろしく頼む。じゃ明日、お宅に伺って泊めてもら
うから」
「こちらこそよろしく頼む」
こんな解決策でいいのだろうか。少し整理がついた
ことは確かだが、余計なオマケがついてしまった。人
妻を相手にすることになるかもしれない。影武者を立
ててごまかすという危ない橋を渡るような方策でいい
んだろうか。それが不安であるし、忍と美並の決着が
ついていない。掛け持ちで移動して、二つの上演に行
くとしても、花束でも渡さない限り行ったという証明
にはならないし、そのあとの付き合いをどちらにする
か、ハムレット並に悩まねばならない。一度自分を振
った忍と一途に思い続けていたという美並、一年間は
付き合って結婚もほのめかされた忍と家庭教師と生徒
との関係でしかなかった美並。現在はリサイタルと芝
居にそれぞれ大和を誘って、月光の下で彼を自分のモ
ノにしようと二人とも熱烈に思っていることは同じで
ある。
判断がつかない。思い悩んでいるときは目に付くも
のが違う。地下鉄の構内にある広告が目についた。
「あなたの悩み ズバリ！ 解決します」
太く書かれた文字が目に飛び込んでくる。横には、
「恋愛・結婚・家庭・教育問題専門 成功報酬システ
ム」
と書かれてある。怪しげな宗教かもしれない。問題
が解決したときだけ報酬を支払うシステムなら、なに
が成功かわからないから、タダで診てもらうことがで
きるかもしれない。場所は歩いて五分のところにある。
通りから細い路地に入り、大変入り組んだところを
矢印に導かれて、「愛染さくら相談室」に辿り着いた。
比較的新しいマンションの一階の一番奥まった部屋の
ドアにそう書かれていた。ドアの両側に赤いランプが
置かれている。いかにも怪しげでふつうならこれを見
ただけでＵターンだろうが、悩みを抱えた人はそれで
もはチャイムを押してしまうのだろう。
流石に少しためらったが大和はチャイムのボタンを
押す。「はーい」という女の声がして、開けられたド
アから顔をのぞかせたのは、濃い化粧をしたたいへん
ケバケバしいどうみても水商売の女であった。
「今晩は。ご相談？ どうぞ、お入りになって」
内部はアールヌーボー風の装飾が細部に至るまでこ
ってりと施され、香が焚かれていた。ヨーロッパの王
宮を思わせるようなソファに腰をおろすと後ろにそり
くりかえりそうになるくらい尻が深く埋まった。
「恋愛でしょう。複数の女の子に言い寄られて困って
らっしゃる」
いきなり厚化粧は大和の心中を言い当てた。
「え、なんでわかるんですか」
「永年やってるとね、顔を見ただけでわかるんです。
顔に書いてある文字がはっきりと読めますもの」
「その通りです。四人、いや五人かな。女の人に強く
迫られて、しかも同じ日に重なってしまって困ってま
す」
「月が関係してますね」
「えーッ、どうしてわかるんですか」
「永年やってるとね。あなたがここへ来ることもなん
となく見えてましたもの」
そこまで言い当てられると大和はこのおばさん、い
やお姉さんを信じて何でも言うことを聞きたくなって
くる。
「だいたいのことは想像が付くのですけど話してくだ
さいますか。くわしく」
大和は四人の女と伊能の妻のこともついでに話した。
「来ましたね。モテキ月です。あなたの背後に平安時
代の女性が見えますが、心当たりはありますか」
あるわけがない。平安時代の女性と知り合いなんて
人がこの平成の世にいるわけがない。あ、しかし、待
てよ。凪紗が言っていたな。自分が座った席に前の日
に座った客の横に平安時代の女官のような女が座って
いたとか言っていたな。
「もしかしてその女の人は着物を来て、にこにこして
ますか」
「はい、してますね。お歯黒が唇からのぞいています。
笑顔を絶やさない明るい人のようです」
「思い当たることはあります。コンパルという喫茶店
で平安時代の霊を見たとか聞きました・・」
「コンパルですって」
「はい。エビフライサンドがめっちゃおいしい店です」
「そこに眼鏡をかけたウェイトレスはいませんでした
か」
「はい、いましたよ。凪紗という名前の子です」
「それ、わたしの腹違いの妹ですッ」
「ええッ。それはさっき話した第一番目の女の子です
よ。あなたの妹だったんですか」
「腹違いで、歳は十五も離れています。父が会社の従
業員に手を出して産ませた子です。最初は私の母から
父を奪った女の子だから邪険にして、水をかけたりし
たことがありましたが、どういうわけか私になついて、
慕ってくれるので、今は普通の姉妹のように仲良くし
て月に一度は映画を見たり、買い物に一緒に行ったり
しています」
「本当ですか。そのお姉さんのところに僕は相談に来
てしまったということですか」
「月ですね。月が仕組んだ罠にはまってしまったので
すから、これくらいの奇遇は当然あるのでしょう。妹
は一途で突進していくようなところがありますから、
あなたは赤い布をもって巧妙にかわさなければ、怪我
しますよ」
「ええッ、脅かさないでくださいよ」
「何度もリストカットして、このマンションの屋上か
ら飛び降りたこともありましたから」
「本当ですか。十二階建てですよ。助かったんですか」
「助かっていなかったら亡霊ですよ。恥骨を折っただ
けで、二週間入院して出てきました。それから不思議
なことを言うことが多くなったようです」
「それはあなたも同様でしょう。背後霊がみえるなん
て普通じゃありません」
「父譲りの霊感なんでしょうね。父はこんなことばか
りしょっちゅう言って、それがばんばん当たるんで会
社も成功して、それで新興宗教の『霊能クラブ』を作
って多いときは一万人くらい信者さんがいたんですけ
ど、自分はこんなことをする人間ではないと急に言い
出して飛騨の山の中に篭ってしまって、今は京都の流
天寺にいます」
「変わってますね。会社やその教団はどうしたんです」
「別の人がそれぞれ引き継いで何とかやっているよう
です。時々京都の父のところに相談に来るようです」
「あなたはそういうお父さんが好きでしょう」
「大好きです」
「話を戻して、僕の背後霊のことですが、確かに平安
朝の女官なんですか。特攻服を着た少年兵士ではない
んですか」
「ちがいます。十二単をまとった知的な明るい女性で
す。この人も月に関係のある人で、ああ、源順（みな
もとのしたごう）の愛人でかぐや姫のモデルになった
人のようですね。あなたはこの人に好かれてしまって、
この人は特攻少年を説き伏せて追い払い、あなたに憑
くことを決めたようです」
「そんな・・。六人目ではないですか」
「この人は霊で、現世では自分の身体を持っていませ
んから、適当に身体を借りてあなたと愛の交わりをし
たいと思っているようです。だから、急にあまたの女
性から言い寄られることになったのです」
「なにも同じ日に集中させることはないと思いますが
ね」
「仲秋の名月に彼女は思い入れがあるのでしょう。自
分が一番美しくなれるときを計算してその日を選び、
必ず成功するように、大学入試のようにチャレンジ、
確実、滑り止めと抜かりなく手を打って複数の女性に
接近させているのです」
「成程。しかし、一番不思議なのはどうしてあなたは
そんなことがわかるのかということです。そしてなぜ
断定的に言い切ることができるのかがわかりません」
「父譲りの霊能力によって、ぼんやりと相手の左上の
方に映像が見えてきて、それを見ながら実況している
だけです。自分ではほとんど何も考えていません。言
葉もなぜか自分の意図とは関係なく、蚕が糸を吐くよ
うに出てきます。わたしも不思議に思いますが、それ
が普通になってしまっているから仕方ありません」
「その映像はハイビジョンですか」
「ここ二三年ですべてハイビジョンに移行しました」
「霊界でもアナログからデジタルへの切り替えがあっ
たんですか」
「そうでしょう」
「チャンネルはありますか」
「自動チャンネルがあります。リモコンがなくても思
っただけで切り替えられます」
「それは画期的だ」
録画再生は、と聞こうと思ったが止めた。
「僕はどうしたらいいと思いますか。友達にも相談し
て、代役を立てて二人はなんとかかわせると思ったの
です。あなたの妹さんには僕の弟に代わりに行っても
らうことにしましたが・・」
「まず除霊でしょう」
「ジョレイ？」
「霊を取り除くことが先決です」
「できるんですか」
「ちょっと手荒いですが、できます。貴方が承知して
くだされば、私がやって差し上げます」
「手荒いって、水かけられたり、火で炙られたりとい
うことですか」
「そんなことはしません。どうします。やりますか」
「お金はかかりますか」
「二万円です」
「成功報酬ではなかったのですか」
「これは特別ですから」
「しかし今手持ちがありません」
「あとで振り込んでくだされば結構です」
禊をする必要があるので、シャワーを浴びるように
言われた。それからゴージャスな寝室に通され、横た
わるように言われる。
「タオルも全部とって心を沈めてしばらく待っていて
ください」
しばらくすると巫女のような恰好をして手に巨大な
榊と鈴をもった凪紗の姉が現れた。髪をふりほどいて
額に鉢巻をしている。壁に埋め込まれたスピーカーか
らか、雅楽が鳴り出した。
「ただ今よーり、大神さまのおん導きのまーにまに、
ここに横たわりたーる、おのこの除霊つかまーつーる
ー。おーかみさまのおん守護のもーとー、この儀とど
こーりなーく、執り行われしめたまえーとかしこみか
しこーみもうさくー」
というようなことをこの人は唱えたようだった。そ
うしていきなり羽毛布団をめくると、大榊を左右にゆ
すぶって、大和の身体を浄めた。続いて、ひものつい
た鈴をしゃんしゃんと鳴らしながらベッドの周りを一
周した。するとどういうわけか大和は甘美な情熱に襲
われ、下半身が勃然としてくるのを押さえられなくな
った。ああ、まずい、いかんと思いながらも巫女姿の
髪を振りほどいた凪紗の姉が妙に艶かしく思えて、血
液は急激に股間に集中していった。自分でもそれがま
っすぐに屹立しているのがはっきりとわかった。これ
は恥ずかしい。しかし、自分の意志ではいかんともし
がたい。立つものは立つのだから開き直るしかない。
凪紗の姉はそれに気付いていたのだろうが動揺する
風でもなく、呪文だかマントラだか意味不明の言葉を
唱え続け、その声は次第に大きくなっていった。そし
てその声がほとんど絶叫になったとおもったところで、
彼女はいきなり巫女服を脱いで乳房や下方の茂みをあ
らわにするとベッドに上がりひざをついて大和を見た。
「ああッ、何ですか、これ」
凪紗の姉は唇に人差し指をあてて、大和に覆いかぶ
さった。
「うわあーーーー」
つまりはこの凪紗の姉は七人目の女だったのである。
蟻ぢごくのようにすりばちの底で待ち構えていて、や
ってくる男を餌食にしてしかも金まで取るという新種
の風俗に過ぎなかった。たぶんそうだろう。
大和はこんな四十近いおばさんに童貞を捧げるのは
まちがっていると思った。たしかにくらくらして、下
半身の激しい疼きもあったが、一年間忍と付き合って
も至らなかったものをこんな行きずりの年増女に奪わ
れてはたまらない。初々しい純粋な美並もいる。穢れ
た身体になって会うわけにはいかない。
「すいません。すいませんけど、ダメなんです」
大和はえいっと力任せに覆いかぶさった凪紗の姉を
後方へ突き飛ばした。
姉は股を開脚して後ろにのけぞり返り、年増の肛門
がはっきり見えた。
髪が乱れてサダコのようになった女は髪の間から目
をギョロつかせて大和を見た。
「除霊ですよ。ここまでやらないと執念深い女の霊は
出て行きませんよ。中途半端でおわっていいんですか。
しっかりお金は頂きますよ」
「振り込みます。振り込みますが、これは体のいい風
俗なんでしょう。それならそうと看板に書いといてく
ださい。詐欺ですよ」
「違います。悩み相談室ですから。たまたま貴方の場
合は特殊だっただけです」
「とにかく失礼します」
大和は衣服を着けると振り込み口座を確かめて転げ
るようにして部屋を出た。
結局何も解決しなかったが、第一の女凪紗の素性が
知れたことは収穫だった。もしかしたら、あの女の言
うとおりにしてされるがままにされていたら除霊がで
きて、すべて解決してすっきりしたかもしれない。次
々にキャンセルの連絡が入り、何もなかったような日
常が戻ってきたかもしれない。それにしても凪紗の姉
には余計なことを話してしまった。弟を身代わりに会
わせるなどと姉に言ってしまったから、中途半端にな
った腹いせにそのことをバラしてしまうかもしれない。
それはまずい、明日すぐに支払いをして、口止めした
ほうがいいかもしれない。
駅で降りて、夜道をアパートに向かって歩いていた。
あちこちで虫のすだきが盛んである。空を仰いで見た
がどこにも月は見えなかった。そこに、携帯が鳴った。
登録していない番号が表示されている。さっきの凪紗
の姉か。
「もしもし」
「せんせーい。久しぶり。手紙届いたかな」
何年かぶりに聞く教え子美並の声だった。
「ひさしぶり。昨日読んだよ。すごいね」
「ありがとう。せんせい、来れるよね。三十日。絶対
来れるよね」
「ああ、たぶん行けますよ。元気そうだね」
美並は機関銃のように自分の近況をしゃべりまくっ
た。大和のことは尋ねない。大和の近況などはたかが
知れているので興味はないようだった。話が途切れた
ところで、
「せんせいは相変わらずコドクかな」
そうでもない、と言おうとしたが、この子は独占欲
が強そうだから、余計なことは言わないほうがいいだ
ろう。
「まあ、ね」
「好きだよ。コドクなせんせい」
「まさか演劇をそんなに熱心にやっているとは知らな
かった。将来はやっぱりそっち方面に進むの」
「そうですねぇ、私的には進みたいけどパパが反対し
てるから、どうかな」
「お父さんは演劇に理解ないの」
「不良のやることだと言ってますね。有名になるのは
ほんの一握りで、あとは社会の寄生虫のなるだけだ、
とか言ってるんだよ。頭固いね」
「美並がスターになってしまえば認めてもらえるはず
さ。やれるだけやってみることだね。それにしても劇
団『三季』の主役とはすごいと思う」
「ありがとう。せんせいにそう言われるのが一番うれ
しいな」
「絶対行くから。楽しみにしているよ」
そんなこと言ってしまったが、いいのか。他の三人
はどうする。
「そのあと、いいですか。せんせいとアーバンスクエ
アの屋上で食事してくれますよね。席とっておきます
から。下のホテルの部屋も・・」
「え、ホテル・・」
「ダメですか」
「いや、いいけど・・。いいの」
「わたしはずっと先生のこと思い続けて演劇やってき
ました。せんせいに捧げるためにその日が用意されて
いたんです。窓からは真ん丸なお月様が手に取るよう
に見えるはずです。わたしはかぐや姫になって、せん
せいは月の世界の王子様で雲に乗って私を迎えに来る
んです。そういうことになっているんです」
ロマンチックな話ではある。しかし、こちらは他に
三人の現実を抱えている。美並は自分で思い描いたス
トーリーに勝手に大和を組み込んでどんなことがあっ
ても強烈な意志で実現させようとしている。もはや大
和の意思などは眼中にない。抗おうものなら、突然般
若の面に豹変するからくり人形のように、人格を変え
て攻撃してくるだろう。命を狙われるかもしれない。
女の一念ほど恐ろしいものはない。
「とにかく行くようにするから。ホテルはどうかわか
らないけど」
「ダメ。絶対つきあってもらいます。最上階のスイー
トだから、キャセル料払ってもらいますよ。約束して
ください。ね。せんせ。私のせんせ」
これはもう脅迫に近い。べつに弱みを握られている
わけではないので、断るなら早くしなければならない。
延ばせばそれだけ、裏切りの罪が重くのしかかって面
倒なことになる。
凪紗のほうがアプローチが強い。凪紗に決めて、忍
を断るべきか。
ところがアパートに帰ると階段に座っていたのが忍
だった。
「えへへ。来ちゃった。昨日、声聴いたら無性に会い
たくなったんだァ・・」
（つづく）
月刊ＷＥＢ風 ２０１２年11月号 通巻第４４号
［原稿用紙 枚］
