金と体（６）
大堀敏靖
「あなたはまじめないい人だから自己処罰して罪をあ
がなったのですな」
「ぼくはそんなまじめな人間ではありません。現に双
子と遊んだりしています」
「そんなことは世間では当たり前過ぎる位のことで、
もっと過激な遊びをする人もいるのですぞ」
「例えば」
「倫理を犯して交わることにしか満足できない人がい
ます。しかも相手の家でやりたがる人がいました。窓
から侵入して、隣室に家族の声がするところで烈しく
燃え上がるという人がいました」
「それは男ですか」
「いや、ご婦人です。しかも、かなり上流の金のある
婦人なんですが、借家に住む妻子もちの日雇い労働者
のところに出かけていって交わり、午後からはホテル
のラウンジで友人の奥様方とセレブに紅茶を飲むとい
う人がいました。友人たちには下層の人々を蔑むよう
なことを言って、裏ではその下層の男とむさくるしい
様な部屋でもつれることに喜びを感じているんですな。
まったく人間というのはおもしろいものです」
「おもしろいんですか」
「高校の体育の教師でしたが、教え子が好きになって
しまっていろいろ理由をつけて放課後体育館の倉庫で
思いを遂げた人が相談に来たことがありましたな。男
性ですが、教え子も男の子で、話を聞くと遊びを越え
て本気で恋をしているんですな。私の前でぽろぽろ涙
を流して、世間では認められない人の道を二重にはず
れた恋愛を嘆いていましたぞ」
「でも思いを遂げたわけでしょう」
「嫌がる男の子のお尻にねじ込んで事が済んだあと『
このことはだれにも言わないでくれ』と言って、五分
くらい接吻していたそうですな」
「生徒は気持ち悪かったでしょう」
「その後電話は通ぜず、メールをしても返事がこない
と泣いてましたな」
「そりゃそうでしょう」
「あと、変り種では車を好きになってしまった若い娘
がいました。町でみかけた何とかというスポーツタイ
プの車に一目惚れして、寝ても覚めてもその車のこと
を思い続け、四つんばいになって後ろから追突される
ことや、裸で仰向けになって轢かれることを空想する
とイってしまうという娘の相談を受けたことがありま
す」
「なんですか、それは」
「なんとかしてくれと懇願されるものですから、仕方
なく車のディーラーをやっている知り合いに頼んでそ
の車種を割り出し、運転手つきで一日相手になっても
らったんですな」
「で、轢かれたんですか」
「いや、広い車庫の中でゆっくり走らせながら裸にな
った娘がフロントボディにしがみついて、泣きながら
訳のわからないことを喚いて気を失ってしまったそう
ですな。しかし、正気に戻ると大変満足して、ボディ
に幾度も接吻してニコニコしながら帰っていったそう
です」
「マジっすか。そんなこと実際あるんですか」
「あります。ですから、あなたのされたことは法的に
も道徳的にもなんら問題はないことで、気にすること
はないんです」
「だけどなんかまちがっていると思うんですよね。結
婚もせず双子の娼婦を相手に交互に遊んで、しかも姉
は自分が独占しているものと思い込んでいるから、や
やこしくならないように、妹と共謀して密会するよう
な形になっています。妹も姉か私のどちらを取るのか
と迫ったようなときがありました。遊びとはいえ、そ
して向こうは商売とはいえ、これは倫理に反すること
ではないかと思うのです」
「あなたは高潔でいらっしゃるからそのように気にさ
れるのですが、世間では二股、三股くらい平気でやっ
てる方はザラにいます。その人たちが全員水虫を患っ
ているかというと、おそらく貴方くらいではないです
か。ま、双子の娼婦というのは珍しいケースですから、
貴方のような立場に立つ人も珍しいのですが」
「先生はどうですか。二股とかかけて女性とお付き合
いされたことはあるんですか」
「あります。私の場合は五股でした」
「え、五股・・」
「年上の人二人、同い年の人一人、年下二人と同時に
付き合っていました。若さに任せて、欲望の趣くまま
に生きていたときが三十代くらいにありました」
「マジですか。で、どうしたんです」
「五人から結婚してくれと言われて、それぞれが捨て
がたかったのですが、わたしは結婚する気など毛頭な
く、気に入ったお人形が五体あって、それを日替わり
で楽しんでいただけの話でしたから、それぞれに別れ
を告げて泣かせました。しかし、わたしを恨んだ相手
は一人もおりませんでした」
「太宰治の『グッドバイ』みたいじゃないですか」
「そうですな。あれは未完で太宰は自殺しましたが、
わたしは完成させて、身をきれいにして、こうして今
も飄々と生きてますぞ」
「水虫とかなりませんでしたか」
「なりません」
「先生はお人形のように女性を割り切ってとらえてい
たと言われますが、僕は人形に心を求めて、ピグマリ
オンのように命を与えたいと考えているのです。商売
女に心を求めています。人形とは割り切れない。それ
がいけないかもしれません」
「貴方はロマンチックな人ですな。人形を人間にしよ
うとしているのですからな」
「先生、人形も人間になりますね。娼婦だって心があ
りますね。お金だけじゃないですよね」
「ありますでしょう。お金だけじゃないでしょう」
しかし、佐藤は自分でもわかっていたのだが、心と
かなんとか言って本当は、二万円の出費をなんとかハ
ートを持ち出して浮かせることはできないかと考えて
いただけで、愛とかロマンではなく、吝嗇からきた発
想であることをうすうす気付いていた。自分でもそれ
を訝っていたのである。
姉蝶子には《これから忙しくてしばらく会えない。
会えるようになったらこちらからメールする》と宣言
した。それは「もう会わない」というつもりだったが
蝶子はそれを額面どおりに受け取って、《まだ会えま
せんか》、《まだ忙しいですか》と頻繁にメールして
きた。
「僕は妹の花子を選んだから君とはもう会わない」と
言いたかったのだが、直截言えば蝶子が傷つくだろう
から、仕方がないので、必ず蝶子が引いていく手を使
った。
《蝶子はだれか好きな人いるの？》
《いません》
《蝶子とはもう何回も会ってるけどまだ金と体の関係
ですか？》
《それは初め妹に紹介された時からそのままだと思い
ますけど》
《僕のことはどう思ってるの？》
《佐藤さんは本当に優しくていいお客様だと思ってま
す。感謝しています》
《それだけ？ 他にだれか好きな人はいるの》
《いません》
《何人の人と相手してるの？》
《数えたことないのでわかりません》
《僕は変かもしれないけれど蝶子の体だけでは満足し
なくなってしまった。蝶子の心が欲しくなったようで
す》
《心を、風俗の私に求められてもちょっと・・》
《風俗は辞めたんじゃなかったの》
《今は本当に生活がぎりぎりで、お店も探していると
ころです。私は好きな人ができたら、一途になるタイ
プだから本当にそうなったら辞めると思います》
蝶子はやくざの男について東京まで行って子どもを
産んだ。なるほど一途なんだろう。佐藤は客の一人に
過ぎず、恋をして一途に追いかけていく相手ではない。
佐藤は妹の花子にこそ一途に追いかけられ、そうして
二万円を払わずに楽しむことができたらいいと思って
いる。しかし、それが蝶子なら蝶子でも構わない。双
子だからあの時に至ればほとんど同じであるからであ
る。
《蝶子を抱きたい気持ちは今も変わらないけど、体と
お金の関係ならば、他の人にあたってくれないか》
《そうですか。佐藤さんのご希望に添えられなくてご
めんなさい。今度は風俗の女ではなく、一般の女の人
にしてください。さようなら、ありがとうございまし
た》
《なんかさびしいけど、さようなら。またね》
こうして双子の風俗嬢を交互に楽しむという僥倖的
な時期は通り過ぎた。結局出費が嵩み、後に何も残ら
ない。おまけに水虫という天罰に襲われる。金の欲し
いばかりの姉妹だから、体の欲しいばかりの佐藤が会
おうと思えば前言を簡単に撤回すればすぐにでも会え
る。しかし、もういい。水虫もこりごりである。佐藤
の計算では何でもしゃべる姉妹だから、蝶子は必ず佐
藤とはもう会えなくなったことを、妹の花子に話すだ
ろう。そうすると佐藤は言葉通り姉と手を切って自分
だけに専念してくれるのだと花子は納得して、佐藤の
株が上がり、心はますます佐藤に傾いてくるだろう、
と佐藤は期待したのである。
二月の初めに姉妹の誕生日があった。紅白歌合戦が
終わり除夜の鐘が鳴り響く中ですぐに花子が新年のあ
いさつのメールをくれたように、誕生日の午前零時を
過ぎるとすぐに花子にお祝いのメールを送った。
《誕生日おめでとう！ ますます女を磨いてね》
ところが一時間後に届いた返信はこうだった。
《ていうか、人間性最低だと思いますけど。佐藤さん、
蝶子と連絡取り合って何話してましたぁ？》
佐藤は目論見が裏目に出ていることに愕然とした。
―――人間性最低だと思います・・・
確かに商売女に心を求めて、安価に楽しもうとしてい
る自分は最低といわれても仕方がないが、佐藤の意図
がまるで理解されていないことには不本意だった。「
誤解」を解かなければならない。
花子が嫉妬しているとすればむしろそれは嬉しいの
であるが、ここは怒らなければならない。
《花子だけにしようと決めて蝶子からの再三の誘惑を
断ったオレがなんで最低なんだ！ 説明しろよ》
待てども返信はなかったが夜中の三時に近いころ、
電話のコールがあった。花子からだった。佐藤は取ろ
うとしたが、前に花子から電話をもらった時を思い出
し、見送ることにした。あの時は怒っていた。よほど
腹に据えかねることがあると花子はメールでなく、電
話してくる。二十秒ほどのコールで止んだ。しばらく
起きていたがその後はメールも来なかった。
翌日も待ったがメールは来なかったし、電話も掛か
って来なかった。
翌々日の朝に佐藤はメールした。
《会わないと言ったのに蝶子が誘ってくるから、蝶子
を傷つけないようにムリな要求しただけです。オレの
方から連絡取ってない！》
それから五時間後に返信があった。
《メールごめんなさい。何をいってるか自分でもわか
らないです。すみません》
後で聞いた話では花子は誕生日前日から友達と飲ん
で酔っていた。
「酔うと本心が出るからなぁ」
と、佐藤が浴槽に浸かりながら言ったのを服を脱ぎ
ながら花子がよく聞き取れないまま、
「酔うと本性が出ますね」
と受けていた。
「本性」ではなく、「本心」が出るのである。酒が
入ると、佐藤を愛し始めている花子の本心が出て、誕
生日の祝いのメールを貰っても、蝶子と佐藤がメール
でやり取りしていたことが引っかかっている花子は素
直に喜べず、「人間性最低」となじることになる。
酔った花子は夜中の三時に電話してこう怒鳴るつも
りだったのだろう。
「おい、佐藤。人の心を弄びやがって。蝶子とはもう
会わないとか言っときながら、付き合ってくれとか、
食事しようとか、写真撮らせろとか、ふざけたこと言
うな。コノヤロー。ぜんぶ知ってんだぞ。あたしと蝶
子とどっちがいいんだよ。はっきりしろよ」
姉同様登校しても校長先生の頭をシデンブラシで叩
いていた花子はかつてのヤンキーの本性をむき出しに
して喚いただろう。
しかし、しらふの花子は、酔っていて何を言ったか、
自分でも何故そんなメールをしたのかわからないとい
う。佐藤さんは仕事での付き合いの人、姉の蝶子と会
ってもらっても一向構わないどころか、むしろ姉も困
っていますから会ってやって欲しいとまで言う。三十
を越えて店でも指名されることが少なくなり、一人の
客もつかず、ただ店につめて「お茶して」いるだけで
さびしくタクシーに乗り込むことも増え、若い娘たち
が大きな顔しているのに耐えられなくなり店を辞めて
しまった二人である。真っ当な仕事をしながら、馴染
みの人の援助で食いつなぐというのが、当初の花子の
目論見だったが、こんな商売をして、一時は月に百万
も稼いでいた人間が、時給八百円で一日働いても五千
円にもならないような仕事に耐えられるはずがない。
行く場所はやはり風俗である。貯金も次第に底をつき、
欲しいのは金、心や愛よりまず金、惜しみなく大金を
もたらしてくれる余裕のある爺さんたちはやはり彼女
たちには頼りになる存在にちがいない。
花子に恋愛の心が芽生えたとしてもそんな余裕はな
いというのが実情だろう。とにかく食いつないでいか
なければならないという切迫した状況があった。酔っ
た時にわずかに本心が出て、四年通い続けたなじみの
客の中では一番若い佐藤に対する本心がわずかばかり
に吐露されたかもしれない。
佐藤の望みはその本心を引き出して、金と体の関係
を清算して、純粋な恋愛関係から出発して、肉欲の満
足も楽しむことだった。
「佐藤さん、それでは前の彼女の時の方がよかったと
いうことですか。まじめに付き合えば大抵の女は結婚
してくれるものと考えて先を急ぎ始めますぞ。それが
できなかったから貴方は前の彼女に去られて、今の状
態に持っていかれた訳でしょう。余計なことは一切捨
象して、本質の願望だけを叶えてくれる相手、それが
双子姉妹だったわけですな。しかも、他のおじさんた
ちより少ない金額でも双子姉妹は貴方を許している。
使うお金は前の彼女のデート代と同じくらいのもので
しょう。食事だ、カラオケだ、ホテル代だ、ガソリン
代だといっていたら、それ以上にかかったかもしれな
い。エッセンスだけを安価にもたらしてくれる風俗嬢
がいてくれるだけでもありがたい話だと思いますが、
貴方はさらに別のことを求めようとしている。貴方は
究極的に一体何を求めているのですかな」
「心から私を愛してくれる人とできるだけ安価に愛し
合うことです。そこには肉体的に結びつくことも含ま
れます」
「それでもし花子さんが心から貴方を愛してくれたら
結婚する気なのですか」
「はい、心が伴えばの話ですが。しかし、周囲は反対
するでしょう」
「で、その先はどうなりました。まだ話は続きますか」
「後少しです」
「それでは湯につかりながら残りを、ということにし
ませんか。ここは温泉が出て、硫黄の匂いがして肌は
つるつるします」
「そりゃいいですね。じゃ続きは湯の中で」
二人は部屋に備え付けられた浴衣に着替え、タオル
を手に地下の湯殿にエレベーターで向かう。「男」と
表示された暖簾をくぐると硫黄の匂いがたちこめてい
る。かごに浴衣を脱いだ小路の裸は見事な筋肉質なの
に佐藤は驚いた。
「先生、すごい筋肉ですね」
「畑仕事で培われたものです。体脂肪は一ケタですぞ」
「とても五十近いお歳にはみえません」
「私も一時は体脂肪三十近くまでいって、メタボリッ
クな太鼓腹になりかけていたのです。しかし、車を売
り払って、畑仕事を始めたら、特にジムに通わなくて
もこの通りです。身が軽くなりましたぞ」
精力もありそうだから、小路を訪ねた女性は彼を放
っておかないだろう。佐藤は太ってはいないが、筋肉
はほとんどない。
かけ湯をして露天風呂につかる。白濁している。店
の背後にある杉木立が黒々と見える。空には星が瞬い
ている。「源泉掛け流し」と表示してある。
「あー、いいですね。癒されます」
「地球の内部から溢れてくるものは人間を元気にしま
すな。海水もいい。毎日つかっていれば大抵の病気は
癒されますぞ」
「心の病もですか」
「さぁ、恋の病は草津の湯でもといいますからな。し
かし、ずっとここにいればつまらぬことは全部忘れて
しまうでしょう。治りますぞ」
「じゃあ、続きを話しますね」
「とくと伺いましょうぞ」
姉蝶子と縁を断って初めて花子と会ったのは、彼女
たちの誕生日から一週間後だった。それはバレンタイ
ンデーの翌日にもあたった。蝶子ではなく花子を選ん
で一人に絞ってくれたことに花子は喜び、車に乗り込
むとすぐに抱きついたり濃厚なキスなどをしてくれる
のではないかと佐藤は期待した。バレンタインのチョ
コは必ずくれるだろう。店にいた時も、オッパイの形
をしたエロチックなチョコレートをくれたものだった。
それで佐藤は誕生日もあったことだし、何かこちらか
らもプレゼントしようと思い、
《花子、何かほしいものはありませんか》
とメールで尋ねた。しかし、その返事はなく、待ち
合わせの時刻を確認しただけだった。
花子は元ヤンキーであるが仕事は熱心で、待ち合わ
せに遅刻することは絶対になかった。大抵約束の五分
前には待っていた。その日はマスクをしていた。車に
乗り込むと咳もする。
「ちょっと風邪気味ですけど大丈夫です。熱とかはあ
りませんから」
マスクをしているので濃厚なキスは望めないし、手
にはいつものバッグ以外、ゴディバの紙袋とかチョコ
レートらしいものは何も持っていなかった。
しばらく沈黙して車を走らせ、耐えられなくなった
佐藤が飼い犬のことを尋ねた。花子の家族はペット好
きで犬や猫を十指にあまるほど飼っている。そのうち
の最高齢のチワワが老衰で弱っているという話を以前
から聞いていた。携帯の写真で白内障のため眼球が白
くなっているチワワを花子は見せてくれた。食べられ
ないため点滴注射を毎日射ちに動物病院に連れて行き、
その費用が毎日五千円かかると言っていた。他の客が
「薬殺しろ」と言ったことに対して花子は激怒した。
佐藤から見ても家の経済が苦しいのに犬どころではな
かろう、月に十五万も医者代だけでかかる犬を大切に
している場合ではなかろうと思ったが花子からすれば
その犬は生き甲斐で家族以上なのだという。犬や猫の
世話をし、姉の子供の世話をし、結婚もしないで、三
十も半ばになろうとしている。。
「わたし、ロンのことでいっぱいで、バレンタインだ
ったことも忘れてました。佐藤さんにも今日何も用意
してないんです。ごめんなさいね」
「いいよ。ロンというのが犬の名前だね」
「そうです」
犬のロンとオレとどちらが大切なんだと迫れば、蝶
子なら「そんなこと比べられません」と言うだろうが、
正直な花子なら「ごめんなさい。ロンです」と言いそ
うである。
家には最近姉が入りびたりで居座っている。その日
も出てくるとき「コンビニと銀行に行ってくる」とウ
ソをついて出てきた。姉蝶子は自分と共通の客が妹花
子を指名して呼び出すことを一番気にしている。発覚
すればいがみ合いになることは必定なのである。
化粧もせずに素っピンで来ている。蝶子は素ッピン
ではとても人前に出られないと言っていたが、花子は
十分に美しい。化粧をしている時よりかえって生々し
い艶っぽさがある。しかし、体は小柄の上に店を辞め
てから十キロ太った。中学生になった甥と今でも一緒
に風呂に入っているが、長い髪を上に上げて束ねてい
ると「相撲取りのようだ」と甥は言う。甥も中学とも
なれば陰毛も生え、立派に立てることもできるから叔
母の裸を見て変な気が起こって、アダルト・ビデオに
あるような関係になっているのではないかと思ったが、
幼いころからの延長で全くそんな気配もなく、同性の
ような感覚で、「相撲取りのように太った叔母さん」
と見ているに過ぎないらしい。
そう考えてみると、同じ花子の体を見て、欲情を起
こしている佐藤は花子の甥のトキオとは違うものを花
子に見出していることになる。花子のほうも、甥には
出さない特殊なフェロモンを客に対して発散している。
どこか見えないところにスイッチがあって、情欲を醸
し出す働きが動いていることになる。
それは心の働きである。心が働いて情欲が起こる。
まず客のほうに情欲が起こって、下半身を刺激してい
るうちに、女のほうでも情欲が起こって、仕事とはい
え、喘ぎながら快楽を得ている。佐藤は女も快楽を感
じてくれないと満足できない。自分だけ一方的に満た
されてもおもしろくない人間である。これだけ長く続
いているのは、花子が本当に快楽の中に身をおいて、
喘ぎながら頂点まで上り詰めることが時折あるからで
ある。
花子は一番情欲の心を佐藤に起こさしめてくれる女
である。双子で体型と精神構造が同類形の蝶子もほぼ
同程度に情欲を起こさしめてくれる。おそらく第三者
が見たら、あんなミニ樽のような女たちのどこがいい
のかというだろうが、蓼食う虫も好き好きだから仕方
がない。佐藤は気に入ってしまって、その体から離れ
られなくなっており、花子の方でもなじみの客一人と
して、かなり好意を寄せて、口では言わないが恋愛感
情を持ったかもしれなかった。酔った時にそれが露呈
していた。
その日も何枚か写真を撮った。バスタオルを巻きつ
けたところまでは許したが、裸は嫌がって羽毛毛布で
隠されて撮ることができなかった。写真を撮ることも
佐藤は倫理に反するような罪悪感があった。それでも
撮ることは異様な興奮もあって辞めるわけにいかなか
った。
いつものように上に乗られて搾り取られた後はあっ
気なく、花子の甥と同じ感覚でしか花子を見られなか
った。出費が多いことが痛感させられた。
《僕とまじめに付き合う気はありますか？》
金と体の関係ではどうにも満足できなくなり、変化
を求めた佐藤は一週間後花子にメールを送った。
例によってすぐには返ってこない。六時間後に返信
は届いた。
《すいません。佐藤さんだからじゃあなくて今は誰と
も付き合う気になれないんです》
《どうして？ 僕は四年間も花子を思い続けてきたん
だよ》
これに対する返信は翌日届いた。
《わたしにその気がないからです》
湯煙が立ち込めて小路の姿もかすんでいる。
「話はここまでです。これ以後連絡は取っていません
し、花子からも音沙汰はありません。すでに二ヶ月経
っています」
「もう会わないことにしたんですか」
「いや、僕は花子から連絡があることを待っているん
です。そして連絡があったら、少し無視して、しつこ
く連絡があったら、『僕は金と体の関係にはもう飽き
た。花子の心が欲しいんだ。金だけなら他のおじさん
に当たってくれ』というつもりなんです」
「おそらく連絡がないということは花子さんも貴方か
らの連絡を待っているんでしょうね」
「そう思われますか」
「思います。花子さんは蝶子さんと違って、内向的ら
しいですから、ひたすら待って耐えるタイプの女性の
ようですからね。お互いに待っていたのではそのまま
でしょう」
「どうすればいいんですか」
「さぁ、それは貴方次第ですぞ」
二人はのぼせそうになりながらふらふらと湯から上
がった。
（了)
月刊ＷＥＢ風 ２０１２年３月号 通巻第３６号
［原稿用紙２７枚］
