金と体（４）
大堀敏靖
その一週間後に姉の蝶子に会う約束がついていたが、
収穫したジャガイモをどうしても渡したい佐藤は、執
念で妹の花子に会うことにした。女を口説くとはこう
いうことかと彼は初めて知った。はじめは拒否しなが
らも次第にこちらになびいてくるのが手に取るように
わかる。そこをさらに押してとどめにこちらに引き倒
すというのは快感だった。
もっとも金が関わっているから、非常の場合は金額
を吊り上げれば簡単に女は靡いてくるのだろう。ふつ
うの意味の「口説く」とは違っている。しかし、金が
絡んでいるとしても、かなり特殊で、双子の姉妹を両
方相手にしている。姉は妹から客を奪うことができた
と信じて、その姉には内緒で妹に会うことになる。話
が複雑であることは三十も後半に入ろうとする佐藤に
は嬉しいことだった。男女関係、とくに肉体関係はど
ろどろとした、コンプリケイティッドな関係こそ、情
欲は燃える。シンプルでは立つものも立たない。
姉の蝶子と待ち合わせする天神様の前では嫌だと花
子はいった。橋を渡ったところにあるホテルまで自転
車で行くという。しかし、それはなかなかの距離があ
るし、雨など降れば大変だから、家の前まで迎えに行
くからと提案したが、「それはぜったい困る」と肯ん
じなかった。「じゃ、僕から蝶子に話して、花子と会
うことを了承してもらおうか」と言うと、「それなら
もう会わない」と言った。よほど姉に気を遣っている。
「そんなに蝶子が怖いのか」と言うと、「怖いのじゃ
なくて、ごちゃごちゃ揉めるのがいやなんです」と言
った。双子姉妹の関係というのはいろいろあるのだろ
う。まして同じ商売をしている。客をとる商売をして
いると、嫉妬だの張り合うだの半端ではないのだろう。
佐藤は了承して、現地集合と言うことで折り合った。
当日は晴れた。その日収穫したばかりのじゃがいも
を七つコンビニのレジ袋に入れ、花子が吸うバージニ
アスリムのロゼを三箱と固焼きのポテトチップスの黒
胡椒味、カルパス、それに裂けるチーズのプレーンも
久しぶり会う花子のために用意した。店で会ったのが
最後だから、三ヶ月半ぶり、他の場所で会うのは初め
てだった。その緊張感もまたよかった。
囲いをして外から見えなくなっているホテルの駐車
場に車を止めた。平日の午後二時でガラガラに空いて
いる。客は他にいないかもしれない。花子の姿が見え
ない。しばらくするとメールが入る。
「今どこですか」
すぐに電話をした。喧騒な音楽の着メロが聞こえ、
やがて花子の低い声がする。
「駐車場にいるけど、北口から入ったから」
「わかりました。今行きます」
車から降りて待っているとホテルの建物の脇から、
花子が携帯を見ながら歩いてくる。ふつう恋人同士な
ら、ここで微笑して手でも振るだろう。しかし、娼婦
の花子は佐藤を認めても一瞥しただけで、携帯電話を
見ている。娼婦であってもここで白い歯を見せて手で
も振る女は店のナンバーワンとかになれるのだろう。
自分がマネージャーなら、客と目を合わせて笑え、オ
ーバーアクションしろとアドバイスするだろうと佐藤
は思った。険しい顔をしている。買った化粧品のクレ
ームをつけに店に乗り込んできた女のような顔をして
いる。仕事をするために来ただけですから、という風
情である。
それでもすこしは気持ちもあるだろうと佐藤は考え
て、
「久しぶり」
という。
「本当に久しぶりですね」
意外にも明るく応えた。ビジネスである以上、花子
は重装備をしている。本心に至るには、急いでも四、
五分はかかるくらい幾重にも衣類を重ねて纏っている
のだろう。
「五キロも太ったんですよ。五キロの肉っていったら
ものすごい塊ですよ。そんなのがついちゃったんです
から」
花子はグラスに氷を入れ、持参したミネラル・ウォ
ーターを注いでくれる。この間二回姉の蝶子を相手に
し、蝶子も肉付きがいいので、花子が特に太ったとは
思わない。肉感的なのはむしろ好ましい。肉布団にく
るまれてしめつけられたいという願望を佐藤は持って
いる。姉妹の二重肉布団にくるまれて締め付けられな
がら眠れたらどんなにいいだろう。二人がけのソファ
があったが花子は店にいたときのようにテーブルをは
さんだ向こうに正座してヴァージニアスリムに火を付
けた。
店に通ったときは向こう側にいる花子をこちらに招
いて佐藤の股の間に座らせて、後ろから首筋や背中に
吸い付いた。しかし、シチュエーションが変わり、姉
の蝶子にはベッドにいくまで一指も触れない習慣がつ
いているので、花子にも無理なことは要求しないでお
こうと思った。姉の蝶子はどんな客が一番いやかとい
う佐藤の問いかけに、「いつまでも体に触れてくる人」
と応えた。好きでもない男に体をべたべた触られるの
は不快なのだろう。姉がそうだから、おそらく花子も
そうなのだろう。べたべたしてはいけない。女の体に
吸い付くなんてことはよく考えればみっともない話で
ある。他人に見られたら困る。しかし、蝶子の話では、
妹は好きなことと仕事が一致している、つまり、男と
の性的コミュニケーションが好きでそれが職業になっ
ているから幸せだと言っていた。花子の口からも「わ
たしはＨが好きですから」と確かに佐藤は聞いた。好
きでもない男からでもべたべた体を触られ、肉棒を差
し込まれることが悦びなのかもしれない。
しかし、佐藤は、テーブルの向こうで立て続けに煙
草に火をつけ、煙をくゆらせながら姉の愚痴をこぼす
花子の話を黙って聞いている。
「蝶子は私が出て行くときも窓から見張っているんで
すよ。今日も友達のお見舞いに行くからって出てきた
んですよ。佐藤さんと会ってるなんてことがバレたら
どうなるかわかったもんじゃありません。佐藤さん、
蝶子にメールしていろいろ言ったでしょ。あれで、も
う佐藤さんは自分のものだと思い込んじゃってますか
ら」
「蝶子は独占欲が強い」
「そうです。独占欲の塊です。私は何人か蝶子にお客
さんを紹介してるんですけど、自分の物だけにしたが
るんですね。私にそのお客さんからオファーがかかる
ともう不機嫌になるんですよ」
「そうか。明るくて屈託のない子だと思ったけど」
「今同じデルヘルにいるんですけど、自宅待機で、私
のほうが結構お呼びがかかるんですね。もういけませ
んよ。不機嫌になってろくに返事もしなくなりますか
ら。自分に声がかかるとバカみたいに上機嫌になって、
ルンルンしながら出ていきます。母もあの子はわかり
やすいってあきれてます」
「蝶子はわかりやすい」
「もう三十越えて、大した顔や体でもないですからね、
お客さんにももっと愛想よくすればいいのに、仕事の
後のお礼のメールもしないし、具合のよくないお客さ
んにお見舞いのメールもしないんです。いつまでも自
分は十代、二十代のときのように男にちやほやされる
と思い込んでるんでしょう」
「母親としてはどう」
「トキオは今年中一になるんですけど、私がお父さん、
母がお母さんになってます。蝶子は口だけできーきー
怒ってるだけ」
「息子を預けといてお金はちゃんと入れてる」
「全然。前に一万円入れてくれただけです」
母親の再婚した相手である義理の父親が優しい人で
未婚の母となった蝶子の子を自分がめんどうみようと
言ってくれたために、実家で育てられ、蝶子は独りマ
ンションで生活していた。そしてその義理の父が亡く
なったため、花子が父親代わりをすることになったこ
とは蝶子から聞いていた。
「それはおかしい。絶対おかしい。実の母がめんどう
も看ず、金も出さないなんて筋が通らない」
「そうだと思います。でも、そういう生活に慣れちゃ
ってますから・・」
「そのトキオ君はどう。誰になついてるの」
「母にも私にも」
「おばさんとおばあちゃん。蝶子には」
「実の母だとはわかってますど、時々やってくる人な
んでしょうね・・」
「おかしい。ぜったいおかしい」
「でも、そうなってるんですから、変えられませんよ」
「花子はそれでいいのか。甥のめんどうをこれからも
ずっと看ていくのか」
「当分は。わたしもトキオがかわいいし・・」
「かわいいかもしれないけど、実の母のほうがかわい
さは大きいと思う。そんなのは宿命じゃなくて、蝶子
が妹やお母さんに甘えているだけの話だから、花子が
めんどうは看れないと言い出せば蝶子の気持ちも変る
んじゃないか」
「そうでしょう。でも、わたしもしばらくはこの生活
は変わらないと思うし、トキオをなんとかしないとい
けないと思ってますから」
「好きな人ができて結婚することになれば必ず変るよ」
「えっ、でも、そんな人いないし・・」
そこで佐藤は、僕ではどうかな、と言おうとしたが、
なぜかそう言うのは憚られた。簡単に事が運んで、花
子と結婚することになるのではないかという恐れもあ
った。「花子は本気になれば何をしでかすかわからな
い」というのは姉蝶子の弁である。ストーカーになっ
て刃物で襲ってくるとか、毒を飲まされ、紐でくくら
れて、川に一緒に投身させられるかもしれない。太宰
治になってしまう。
花子は煙草を揉み消しながら佐藤がもっと迫ってく
れることを待ったかもしれない。いつまでも灰皿にこ
すりつけていた。
「シャワーいきましょうか」
それから一週間後に姉蝶子と佐藤は会った。体に妹
の余韻が残って蝶子は気がつくかもしれないと本気で
恐れた。
「佐藤さん、妹と会ったでしょう。妹の匂いがするも
の」
「えっ、会ってないよ。妹の匂いって香水」
「違います。女の感です。貴方の向こうにぼんやりと
妹の幻影が見えるんです」
「えっ、生霊か」
「言いなさい、妹と会いましたね」
「会ってない」
「会ったでしょ、佐藤さん、言いなさい、言わないと
首絞めますよ、言いなさい」
「ああっ、やめろ」
「言え、佐藤、浮気しただろ、はっきり言え」
「ああ、苦しい、ああ、殺されるー」・・・
しかし、疑う様子などまるでなく、蝶子は淡々とし
て、乗り込んだ車の助手席でもいつものようにしゃべ
り始めた。
別の客に大阪に連れて行かれたことを話した。その
客は七十に近い老人であるが、先年妻を亡くした。そ
れで誰に憚ることなく、自宅に蝶子を招くことができ
るのであるが、競艇が好きで、大阪の住之江競艇に蝶
子を伴って出かけた。このとき蝶子は言わなかったが、
一泊二日お供しただけで、十万もらったのだと花子か
ら聞いた。姉が話さないことは妹が、妹が黙っている
ことは姉が一切を筒抜けにぶちまけてしまうので総合
すると姉妹の全貌をつかむことができる。
「新幹線の中でも何にもすることないので寝てました。
競艇場でもわたしはさっぱりわからないし、興味もな
いので、ガラス張りの個室みたいな部屋のテーブルに
伏せてほとんど寝てました。夜ですか、部屋も別々で、
食事も一緒にするわけではなく、わたしはコンビニで
お弁当やお酒を買ってきて独りで食べてました。あれ
ですか、あれは朝ですね、お客さんの部屋に出向いて
いつもと同じようにやりました」
「そんなことして、つき合わせて意味あるのか」
「さぁ、ずっと奥さんと一緒に行ってたみたいですか
ら、独りでは行きたくないのでしょうね。だれか女が
一緒じゃないと」
「食事くらい一緒にしてもいいし、夜も同室すればい
いのにな」
「わたしも独りのほうが気楽でいいし、お客さんも食
事や睡眠までわたしといっしょではいやかもしれませ
んね」
「わからない。そうまでしてつき合わす必要があるの
か、ぼくなら、とことんつき合わせるけどな。ぼくが
旅行付き合ってくれと行ったら、蝶子は行ってくれる」
「いいですよ。いただくものがいただけるならどこへ
でもお供します」
「徹底的につき合わせてもか」
「いいですよ。食事もベッドも」
しかし、佐藤は一泊二日も蝶子と行動を共にするこ
とは望まなかった。事の前はそんなこともロマンチッ
クに感じるが、事が済むと、頭が事務的に働くばかり
で、もう一度抱きたいとか、手を握りたいとか一切思
わない。食事に誘いたいとも思わない。天神様までこ
の女を運んで降ろせば任務は完了だという頭しかない。
身長百五十四センチメートルの豆タンクのような、
娘とおばさんの境目あたりの女である。花子は蝶子よ
りさらに四センチ低い。妹の花子の方が冷静な目でみ
れば美人だと思うが、商売柄二人とも色気は多分にあ
る。男好きのする顔と体をしている。それにこの姉妹
はこれからが、女盛りで、体は男を求めて全開となる。
全身が陰部のようになって、男を取り込もうとしてい
る。
だから、時間の経過と共に、ベッドでの蝶子の脚や
臀部、恥部などを反芻するとやっぱりあの女は捨て難
いと思えてくる。花子とは異なる退嬰的で、放漫な色
気が肉付きのよい五体から立ち上っているように思え
る。
佐藤のこの姉妹に対する究極的な願望は、同時に二
人をベッドに侍らせ、横臥した彼に執拗で、少し暴力
的な奉仕をさせることであった。そして二人を同時に
妊娠させるという空想も彼を興奮させた。
だが、独占欲の強い姉蝶子、そういう姉を極端に恐
れる妹花子が協力して佐藤というお客様に奉仕してく
れるとは考えられない。もっともこういう商売の女た
ちであるから、多額の金を積まれれば多少の不本意も
眼をつぶるかもしれない。
蝶子は、生理中の女が好きな客に五万出すからと懇
願されてその真っ只中に相手をした。生理中はふつう
仕事をとらない。しかし、出血した陰部がたまらなく
いとおしいという男がいるのだから世の中よくしたも
ので生理中も仕事が成り立つ。生理中は女の都合が悪
いのか、男が普通いやがるのか、どちらが主で休むの
か知らないが、金が介在すれば少しの不都合も雲散霧
消してしまうのである。
そういえば佐藤の元カノの若菜も言っていた。付き
合っていた別の男は絶倫で、若菜が生理中でも我慢で
きず、容赦なく肉棒をねじ込んでくるものだから、ベ
ッドのシーツが紅に染まり、痛いやら、変に気持ちい
いやら、絶叫して大変だった。
医学的にどうなのか。やはり出血するというのは普
通ではないのだから控えたほうがいいのだろう。しか
し、人間はおかしなもので抑えられると逆に願望が高
まったり、あまり好きになると、相手の体から出てく
る液体は何でも飲みたくなる。愛液でも精液でも血液
でも唾液でも乳汁でも尿でもである。それに生理中の
女の七、八割はとても性交がしたくなるのだという統
計がある。恋愛の絶頂期のカップルや変態性欲者は生
理中にも性交することになるのだろう。佐藤自身はそ
んな趣味はないから、生理中は避けたい。
しかし、彼が少しアブノーマルと思われるのは、二
つ目の願望として、蝶子や花子の画像を手に入れたい
ということだった。すでに花子の画像は持っていた。
彼女が店にいる頃、おそらく気が進まないまま新しい
やり手の店長に強要されて、写真メールを更新させら
れた。それまでの花子はペットの猫や犬の写真しか載
せなかった。自信がなかったのだろう。しかし、突然
顔写真を載せて佐藤は感動した。店で会った時も折り
あらば携帯で写真を撮ろうと思っていたがとても言い
出せる隙を見せなかった。だから、花子は写真がいや
で、絶対にネットでも公開しないものと思っていた。
佐藤は感動して、更新される花子の画像をすべて保存
した。パソコンに取り込むと思い通りに拡張、縮小、
反転できる。実際に会っているときより、意のままに
遊べる。
尤も実際の花子もほとんど佐藤の思い通りにどんな
要求も大抵満たしてくれた。湯の中にも一緒入ってく
れた。体を洗う前にソファですることも許してくれた。
胸や陰部をおしつけてくれといえば黙って応えてくれ
た。
写真は好きに遊べるが表情を変えたり、服を脱がせ
たりすることまでは佐藤の技術ではできない。だから
一枚では満足できず、新たな画像が何枚でも欲しくな
った。
姉蝶子に写メを送ってくれと頼んだが、「それはＮ
Ｇです」と却下された。悪用されることを恐れている
か、彼女も自信がないのだろう。
姉妹を同時に侍らせ、ミニ・ハーレムを味わう第一
の願望は容易に満たされそうにないが、蝶子と花子の
画像をできるだけ手に入れて、パソコンの中で自由に
拡張、縮小、反転して配置し、スライドショーで楽し
み、プリントアウトして布団の中に持ち込んで楽しむ
ことは実現可能である。明るく、こだわりのない蝶子
なら話の持っていきようで、写真くらい撮らせてくれ
るだろう。裸体が撮れれば申し分ない。動画もいける
かもしれない。
チャンスを狙っているとチャンスは必ず向こうから
やって来てくれるものである。
姉花子とは一月に一度会うことになっている。必ず
蝶子から「ソロソロお会いできませんか」とメールが
入ってくる。店では一人の客で一万ほどしか入ってこ
ないのだろうから、一回で二万、しかも無理な要求は
せず、口数も少なく、話をきいてくれて、おまけに煙
草や酒などの土産までくれる佐藤は、蝶子にとっても、
花子にとってもいい客であるに相違はない。「旨い仕
事」の部類に入り、姉妹は佐藤を相手にすることを楽
しみにしつつあるかもしれなかった。
その月の佐藤は新製品の販売で多忙を極めていた。
「お会いできませんか」と蝶子からメールが入っても、
休日まで仕事で出かけざるを得ず、いつものように昼
間に会うことは難しかった。
「ここ一月くらいは忙しくて、昼間は会えません。平
日の夜なら会えますが」
「いいですよ。何時くらいですか」
「八時くらいですが」
「わかりました」
ところがその日仕事を切り上げて佐藤が天神様の前
に向かっていると、蝶子からメールが入った。
「息子がまだ帰ってこなくて、今警察に電話したとこ
ろです。こんなこと今までなかったことで、すみませ
んが、今日はキャンセルしてもらえませんか」
「それは心配だね。大丈夫だよ。多分夏休みで開放的
になって遊んでいるだけだから。じゃまたね」
しばらくして、ヤンキーになりかけている中一の息
子トキオが帰ってきたとメールが入った。おばにあた
る花子もさぞ心配したことだろう。
その翌日、「昨日はすみませんでした。明日はいい
ですか」というので、「夜ならいいよ」と返した。
ところが、その日に仕事を終えて、携帯を見るとメ
ール着信の青い光が点滅しており、蝶子からである。
「すみません。夕食を食べてから胃が急に痛み出して、
薬を飲んだのですが、一向に治まりません。今日はキ
ャンセルしてもらえませんか」
「それはいけないね。大事にしてね。またね」
そしてその翌日またメールが入る。
「昨夜はすみませんでした。もうすっかりよくなりま
した。今晩はどうですか」
「いいよ」
しかし、その日もまたしても、キャンセルされた。
「すみません。急にお客さんが入って、もう少し早い
時間なら佐藤さんの相手できたんですけど、こちらも
稼がないといけないんで、今日はキャンセルしてもら
えませんか」
「そう、わかった」
さすがに三度も立て続けにドタ・キャンされるとい
い気はしない。翌日も、「今日なら・・」とメールが
入ったが、「夜はやっぱりむずかしいよ」と婉曲的に
拒否した。後で花子に聞いたところトキオの帰りが遅
くて警察に届けたとか、胃痛で苦しんでいたとか、そ
んな事実は一切なく、ウソであることがわかった。
「蝶子は平気でウソをつきます。大抵はバレてしまっ
て、お客さんの信用をなくして、仕事を逃しているこ
とに気がついていません。相手がいつも悪いことにな
ってます」
しかし、そういう花子も佐藤に会いに来るとき、ち
ょっと友だちに会いにいくとか、銀行とコンビニに行
ってくるとかウソをついて家を出る。「わたしが客に
外で会いにいくと知ると姉も知っている客だわかると
いろいろ揉めるから」というのが、ウソをつく口実で
ある。ウソも方便で、それで世の中が丸く収まるなら
よいのだが、蝶子のように自分の都合で平気でウソを
ついて、約束を違えるようではやはり信用を失う。妹
がいて、バレる構造になっていることに気付いていな
い。
三回続けてキャンセルして、蝶子は負い目をもって
いる。それがチャンスだと佐藤は考えた。
「すいませんでした」
と詫びてくる蝶子に対して、
「三連続のドタキャンはひど過ぎる。すまないと思っ
たら僕の願いを一つきいてほしい」
「なんですか」
「写真をとらせてほしい」
「いいですよ。どんな」
「蝶子の写真」
「いいですよ。わたしなんか撮ったってフィルムの無
駄でしょうけど」
「そんなことはない」
「一枚だけなら」
「裸も」
「裸は勘弁してください。そんな自信ありませんから」
「蝶子はきれいだし、色っぽいから撮りたいんだ。撮
らせて」
「わかりました。じゃ、服着たまま三枚」
「いっぱい撮らせてもらうよ。じゃあね」
客観的にみれば、背も低いし、肉付きもよく、樽の
ような体で、自信がないというのはもっともである。
化粧でごまかしているが、「素っぴんはとても見せら
れません」と自ら言っていた。モデルのようにはいか
ない。こういう商売をしているからにはある程度の自
信はあるのだろうが。しかし、おそらく何枚でも撮ら
せてくれて、裸や動画も撮れるかもしれないと考える
と、佐藤の変態趣味は異様な興奮状態となるのだった。
携帯メールの着信は蝶子ばかり延々と並んでいたの
であるが、前に会ったときから一月ほど経ったころ、
花子からメールが入った。
「今度蝶子とはいつ会いますか」
ストレートに自己表現できない花子の真意は「会っ
て下さい」である。しかし、それが「お金がほしいん
です」なのか、「佐藤さんに会いたいんです」なのか
わからない。
「来週会うけど・・。なぜ」
「いえ、別に」
穴から出てきたねずみの尻尾を掴まなければならな
い。
「花子、会いたい。会おう」
「また、会いましょうね。姉に内緒で」
「明日の夜はどう」
「夜はだめです」
「来週」
「姉と会うんでしょ」
「その後に花子と」
「えっ、同じ日にですか」
「三人一緒でもいいけど」
「ゼッタイイヤです」
「だろうな」
「その一週間後にしませんか。わたし来週生理がきそ
うですから」
花子はやはり佐藤に会いたかったのだ。金のためか
もしれないが、純粋に金のためなら蝶子のようにもっ
とストレートに商談をもちかけてくるだろう。婉曲的
に探りを入れてくるところに花子の慎ましやかさと、
金だけではない、佐藤に対するスピリチュアルなもの
が感じられないではない。そこが佐藤は嬉しかった。
しかし、佐藤は、蝶子にしても花子にしても、恋愛と
いうよりは、情欲を満たす相手として考えている割合
が高く、その分、向こうが、金を目当てに近づいてく
る割合が高くても仕方がなかったのである。
「なるほど、なるほど。こんなにおもしろい身の上話
も近頃ありませんぞ。まだ続くのでしょうが、すっか
り日が落ち、夕餉の時間ともなりました。一緒にでか
けませんか」
小路先生は延々と続く佐藤の話に退屈していたかも
しれないが、そんなそぶりは少しも見せない。
「申し訳ありません。こんなとりとめもない、卑猥な
身の上話を長々としてしまって」
「いえ、これからが佳境のようですから、その先を聞
かない限り眠ることもできませんぞ。さあ、食事に出
かけて、続きをお聞かせ願いましょう」
小路先生は、友人が経営しているという割烹料理屋
へ佐藤を誘った。
（つづく)
月刊ＷＥＢ風 ２０１１年１１月号 通巻第３２号
［原稿用紙２８枚］
