金と体（２）
大堀敏靖
小路先生の煎れてくれた極上コーヒーを飲み干すと
佐藤は話を続けた。
梅乃というのは店の源氏名で本当の名は花子という。
花子は店を辞めて、この商売からは足を洗い、「普通
の仕事」に就くという。しかし、収入は少ないだろう
から、パトロンに援助してもらう。一人は六十二歳の
十年来の馴染み客である。花子がヘルニアで入院した
時も見舞いに来てくれた。畑仕事が趣味で折々季節の
野菜を届けてくれる。そのおじさんが一回三万円で、
毎週会ってくれる。したがって十五万くらいはそこで
確保できる。もう一人が何ゆえか同じ六十二歳のおじ
さんで、この人は気まぐれだが、時々会ってくれる。
このおじさんはいくらなのか知らないが、そこに佐藤
が参入すれば、二十万くらいになり、それに「普通の
仕事」の十万でも足せば、三十万くらいの毎月の収入
となる。
佐藤俊夫、三十五歳。二人のおじさんの半分くらい
の年齢である。若さで勝負であるが、金も出せないこ
とはない。しかし、一回三万で毎週というのは無理で
ある。女のために十五万を費やす。愛人を囲っている
のも同然である。
「花子はその人の愛人か」
「違います。山田さんは、あ・・、その人は奥さんを
亡くして今は独りなんです」
「じゃ、内縁の妻か」
「そんなんでもないです。六十二歳の人なんて先は長
くないですから、ずっとってわけにはいきません」
「六十二ならまだ若い。二十年は妻でいられる」
「そんな気はありません」
金のためと割り切った仕事相手である。ビジネスな
のである。若い男と違っておじさんは無理なことは要
求しない。無理なことを要求された場合、花子は無視
する。聞こえなかったふりをする。それでたいてい事
なきを得ている。
佐藤も花子のビジネス相手のワンノブゼムとして参
入したからにはまだ若いが無理なことを要求せず、も
のわかりのよい、しかも金払いのよい男にならなけれ
ばならない。しかし、月十五万も平気でつぎ込める、
どこかの会社の重役か経営者であろうおじさんの真似
はできない。できるだけ安価にしかも時間にとらわれ
ず花子を相手にできればいいと佐藤は考えている。
めんどうな女ならば無理して相手をしてもらう必要
はない。他に女を探せばもっと条件のいい女はいるは
ずである。しかし、佐藤は花子がかなり気に入ってし
まい、恋愛まではいかないが、酒井若菜に去られた心
の空洞を埋める女としてかなり気持ちが入ってしまっ
ている。花子を簡単に手放したくはない。
新しい仕事が見つかったら連絡をくれるといってい
たが、彼岸の墓参りをしているところに花子からメー
ルが届いた。
「佐藤さん。ご無沙汰しています。お元気ですか」
それ以上書いていないが、会って欲しいということ
である。しかし、恋人同士の会いたいではなく、つま
り仕事がしたいということなのである。そこを誤解し
てはいけない。だが、生身の人間、しかも男と女であ
るから、ビジネスを越えて何か本心や真実が少しずつ
でも湧き出すのではないかというのが、佐藤の期待で
ある。店にいた頃のあまたの客の中から、店を辞めて
も継続するベストスリーとして承認されたことは確か
である。六十を越えたじいさんとの勝負なら十分に体
力、精力で勝てる。花子にとってのナンバーワンの男
として君臨できるのも夢ではない。だが、花子がビジ
ネスに徹した場合、月十五万を出せる山田というじい
さんは強敵である。団塊の世代、学生運動など若い頃
にやっていた闘士かもしれない。筋骨隆々のじいさん
らしくないじいさんかもしれない。三十も年若の女に
毎週会うのだから精力絶倫の年寄りかもしれない。い
つかそのじいさんと勝負する時が来るのかもしれない。
「会おうよ。会いたい。会ってくれ」
花子には余計な修飾文句、おべんちゃら、気遣いは
無用だということはわかってきた。やりたいことはは
っきりしているのだから、ストレートに表現すればい
いのである。
「犬が病気でときどきひきつけの発作を起こして離れ
られないのでなかなか会えません。でも治療代もバカ
にならないから・・」
犬の治療代が欲しいので仕事をしたいというのなら
わかるが、なかなか会えませんというのはどういうこ
とか。犬のために金をカンパしてくれということか。
それとも佐藤のことを仕事を超えて想うようになった
花子が佐藤の気を引こうとして、意味不明のメールを
わざわざ送ってきたのだろうか。
「会いたい、したい、入りたい」
佐藤はそれをくり返した。
「佐藤さんは、どれくらい出してくれるのですか」
現実的なビジネスの話になる。
「お互い店にいたときより得をするような線でどう？」
「それはどういう意味ですか」
花子は店では一人客がつくと一万得られると言って
いた。こちらが店に支払う総額は一万七千円だったか
ら、一万四千円くらいにすれば花子は四千円、佐藤は
三千円得をすることになる。そこで、
「一・五でどう？」
と送った。
ところがなかなか返信が来ない。ようやく来たかと
思ったら、
「一・五とはどういう意味ですか」
と言うので、
「一万五千円ということだね」
とはっきり打った。するとまた二時間くらい返事が
来なかった。
「すみません。最低二万は貰っていたので、それを切
るのではちょっと・・」
ウソをついている。店では一万だと佐藤に言ったこ
とを花子は忘れている。仕方がないので、
「二万でもいいよ」
と返信した。
ところがその返事は来なかった。気に入らないのだ
ろう。気に入らないならないで、きちんと返信すれば
いいものを、途中で中断してしまう。失礼な態度だが、
これまでも幾度となくメールでは無視されてきた。用
もないのにメールして「元気？」と打っても「元気で
す」、「仕事頑張って！」と打っても「はい、ありが
とうございます」としか返ってこない。こんな無愛想
では客もそうそうつくはずがない。しかし、それが花
子のライフスタイルで、媚を売ってまで客を取ろうと
はしない。聊かの自負があるのかもしれない。そうい
うところが気に入るモノマニアの客がつまり、二人の
じいさんと佐藤なのである。よほど心が広くなければ
付き合いきれない。またはよほど花子の体に執着心が
ないと付いていけない。
二週間ほど間を空けて、会ってほしいとまたメール
する。
「すみません。医者にいったら胃潰瘍だといわれまし
た」
「そうか、それはいけないな。お大事に」
「ありがとうございます。あの、よろしければ姉と会
いませんか？」
そこに予想外な提案がなされた。双子の姉がいるこ
とは前から聞いていた。今年中学に入る息子がいる。
つまり花子の甥であるが、何ゆえか、その甥を世話す
るのは花子と彼女の母親で、実母は少し離れたアパー
トで気ままに独り暮らしをしている。その姉も風俗で
デリヘル嬢をしている。
「似てるか」
「それは双子ですから。パスポートの写真なんか区別
つかないでしょうね」
花子の分身というか、クローンのようなそっくりの
もう一人がいるということは神秘である。ぜひ、会っ
てみたい、見てみたいと思うのは人の自然な情という
ものである。しかも、その提案はただ会うだけではな
く、密接にスキンシップするということであるから、
こういう機会はなかなかあるものではない。双子の両
方と交わったことのある人類というのは、かなりパー
センテージが低いだろう。稀有な僥倖とでもいうべき
ものである。
「会いたい。ぜひ」
と返信してしまったが大丈夫だろうか。バックに怖
いお兄さんがいるのではないか。
「おいコラ、にいちゃん、俺の彼女に何してくれた」
などと、多額の慰謝料、口止め料など請求され、面
倒なことになるのではないか。「デリヘル」というの
もよくわからない。「デリバリー・ヘルス」要するに
「出前売春」の省略なのだが、育児を双子の妹に任せ
デリヘルをして気ままに独り暮らしをしている花子の
姉というのはそっくりにしても、想像すると化け物の
ようにイメージが膨らんで恐ろしくなってくる。バッ
クが一番恐ろしい。
しかし、一旦「会いたい。ぜひ」などと打ってしま
った手前、「やはり止めます」などとはいえない。貴
重な体験のチャンスを逸することにもなる。
花子は勝手に話を進めて、日時や待ち合わせの場所
を具体的に設定してくる。躊躇して返信を遅らせてい
ると、
「姉がすぐ出かけます。いいんですか、だめなんです
か」
と畳み掛けてくる。花子は元ヤンキーだけあって烈
しいところがある。客とけんかをして、罵詈雑言を浴
びせ、客の背中に塩を投げつけたという話も聞いてい
る。
「わかった。日曜日の午後二時、天神様の前で」
「よろしくお願いします。あ、姉も車乗れなくて足が
ないので、帰りも天神様まで送ってやってください。
あ、それからわたしが姉のことをとやかく言っていた
と言わないでくださいね。あとでもめますから」
などと注文をつけられる。名前を尋ねた。
「蝶子です」
なるほど、花と蝶か。森進一の歌にそんなタイトル
のがあった。郷ひろみも花と蝶が出てくる歌を歌って
いた。両親のどちらかが森か郷のファンだったのだろ
う。考えてみれば花が先で蝶が後だから、姉が花子、
妹が蝶子であるべきだと思うが、姉の子供の面倒を見
る妹は花のように大地に根を張り落ち着いているが、
姉は育児も放棄して、ヒラヒラ飛び回っているのでや
はり蝶なんだろう。生まれた頃から、二人には明らか
な性格上の相違があったのだろう。
しかし、冷静に考えてみなければならないのは、姉
を紹介した花子の気持ちだった。佐藤の目的は肉体的
快感を得ることが大きいのだが、この三年花子以外と
遊んだことはなかった。花子が入院してしばらく店を
休んでいた時も他の子を指名しなかった。京都のお寺
で病気平癒のお守りを買って店に送ったくらいである。
その花子が紹介したということで、たとえ双子の姉
であるにせよ、別の女を相手にすることになる。しか
も、それをいつどこで行うのかを花子は熟知すること
になる。花子はどういう気持ちで姉を紹介したのだろ
うか。好きな男ならば例え姉であろうと安易に譲るこ
とはないだろう。そう考えると佐藤は花子から愛され
ていないことになる。
しかし、深く読めば花子は佐藤を試したのかもしれ
ない。そっくりの姉でも平気で相手にするようであれ
ば、佐藤は花子の内面を愛しているのではない。体だ
けが目当てなのである。花子で具合が悪ければ、コピ
ー人間のようなそっくりの姉で代用することができる。
体が目当てで結局「やりたいだけ」なのである、とい
うことになる。だとすれば、安易に引き受けてしまっ
たことは花子をいたく傷つけているはずである。「佐
藤さんのバカ！」などと、無神経を恨むメールがくる
はずである。
しかし、そんなメールは来なかった。単に客の一人
を同業の姉に紹介しただけの話で、姉に恩を売るため
のビジネスの一局面に過ぎないようであった。だとす
れば、佐藤ががっかりするべきだが、佐藤は双子の姉
に会えることだけに夢中で期待と不安と体が震えるく
らいの緊張感を抑えることにしか頭は回らなかった。
約束の日の前日、花子の姉蝶子からメールが入った。
「梅乃( 花子) の姉でーす。初めまして。よろしけれ
ば今日会っていただくわけにはいきませんか？ 無理
っぽいなら結構ですが・・」
字面だけ見ても花子とは違う。明るい雰囲気がある。
一文ごとに必ず女子高生のような絵文字が挿入されて
いる。仕事だから無理だと打つと、
「わかりました。じゃ、明日二時に天神様の前でお待
ちしてますね。気をつけてね」
と、恋人のような言い回しで返してくる。この女は
花子に望めなかったことをさらに深く要求して、成就
する女かもしれない。出産はしているが、相手として
は、より楽しいかもしれない。
それにしても仕事で慣れているとはいえ、未知の男
と待ち合わせて車に乗せられて密室で二人きりになる。
仕事の場合は変態に無理なことを強要され、身に危険
がありそうなら、店長に電話して助けを求めればよい。
しかし、店を通していない今回のような場合それはで
きない。妹の紹介で、「優しい、いい人だから大丈夫。
一流企業に勤めている人で、何かあったら会社に訴え
ればいいから」という話にでもなっているのだろう。
信用されているということである。信用されたならば
紳士として振舞わなければならない。
佐藤はその日午前中に洗車をし、内部まで塵一つ落
ちていない清潔な状態にし、時々花子にそうしたよう
にコンビニで酒のつまみになるビーフジャーキやポテ
トチップス、女の子の好きなチョコポッキーを買った。
約束の天神宮に近づくにつれ、心臓がばくばくと鳴
った。二十分も前に鳥居の前についてしまった。当然
まだそれらしい人影は見当たらない。天神様で待ち合
わせるのも何かの因縁と思い、参拝しようと佐藤は思
った。
参道は細い道で迷路のようにくねくねと曲がってい
る。二つ目の角を曲がったところで、花子に似たきつ
い顔の女とすれ違った。向こうはわかるはずはないが、
こちらは初対面とはいえ、同じ顔の女を知っている。
まったく佐藤など視界に入る風もなくその女、おそら
く蝶子は反対の参道の入り口のほうへと歩いていった。
まだ時間は早い。向こうはビジネスだから時間厳守
で早めの行動が習慣となっているのだろう。すこし待
たせてもいいだろう。境内に入る。休日だが、ほとん
ど人はおらず、鳩が降り立っている拝殿の前に立った。
気前よく五百円玉を賽銭箱に投げ、目前に垂れた紐を
がらがらと揺する。二拝二拍手する。そして手を合わ
せ、
「わたしはこれから今まで親しくしてきた女の、双子
の姉に会い、仲を睦みます。このような万人にひとり
くらいの僥倖を与えたまいし、天神様に感謝致します。
この体験を今後に生かし、日本国の繁栄のために尽力
させていただきます。天神様どうぞ今後ともお導きお
守りくださいませ」
一拝する。
おそらくこのような祈願をした参詣者は佐藤が初め
てだろう。学問の神様が双子の姉妹と遊ぶことを奨励
するはずがない。勝手な感謝や祈願である。
参道入り口まで戻るとやはりさきほどすれ違った女
がしゃがんで携帯を見ていた。
「あの、蝶子さんですね。佐藤です」
佐藤を見上げた蝶子は花子よりやはり顔がきつい。
花子からして、元ヤンキー風情で、黙っていたらとて
もよりつけない雰囲気があるが、さらにこの姉さんは
きつい顔である。しかし、美人である。背は小柄でか
わいらしく、やせてはいないので肉感的だが、悪く言
えば樽、豆タンクのようである。しかし、これが佐藤
の好みなのだから仕方がない。
「やはり似てますね」
車の助手席に落ち着いた蝶子をつくづくと見て佐藤
は言った。
「いやぁだ。そんなに見ないでください。そりゃ似て
ますよね、双子ですから」
「声も本当にそっくり」
「わたしと花子と母さんは声が本当に似てて、電話か
けた人はしょっちゅう間違えますよ」
まっすぐ行って、右に曲がって、信号を左、と一番
近いホテルの場所を教えてくれる。車には乗らないが
慣れたことなのだろう。
屈託のない蝶子に引っ張られて部屋に入る。お湯を
沸かしてコーヒーを煎れてくれる。湯船に湯を張る間、
蝶子は花子以上に自分の半生や生活を能弁に語った。
額に垂れている髪を時々かきあげた。佐藤はソファ、
蝶子はベッドにかけている。花子の時のようにこちら
に来てくれと促すことができない雰囲気がある。
「煙草吸っていいですかぁ」
足を組んでフィリップモリスに火を点ける。煙草は
いつから吸っているのかと訊くと、
「小学校のときから吸ってましたよ。初めは隠れて吸
ってましたけどね。母さんに見つかって叱られると思
ったら、隠れてこそこそ吸うくらいなら堂々と吸えっ
て言われました。驚きましたよ。それからは平気で親
の前でも吸いました」
笑うと目が太鼓橋のようになるところが花子にそっ
くりである。姉妹の仲はいいのかと訊くと、
「けんかはしょっちゅうですね。いちいちムカつくん
で、後ろから飛び蹴りして花子の腰の骨にひびがはい
ったことがあったし、お酒飲みながら、付き合ってい
た以前の彼氏のことを悪く言ったら花子が怒り出して
ね、わめきちらして、家の中にあるものを全部壊し始
めて、やめろ、やめろって言っててそのうちに静かに
なったと思ったら、いなくなっちゃって、窓が開いて
いるから下をみると植え込みに花子がうつ伏せになっ
てるんですよ。五階のマンションですよ。びっくりし
て救急車呼んで、そしたら警察も来て事情訊かれまし
た。自殺とみなされたんですね。花子は何するかわか
らないんですよ」
「そういえば、花子が店をしばらく休んでいた時があ
った。それだったのか。五階から落ちてよく助かった
もんだ」
「植え込みに落ちたんで、クッションの役目をして、
恥骨を折るだけですんだんです」
「恥骨・・」
そもそもマンションの五階から飛び降りて、恥骨だ
け折るとはどういう落ち方をしたのだろうか。「恥骨
を折る」というのも何か象徴的なような気がする。
「けんかしますけど、すぐ仲はよくなります。双子で
すからね。花子は優しいところもありますよ。中学の
時にね、蝶子は悪かったから目立ってたんでしょうね。
先輩に目をつけられて、トイレに連れて行かれて、便
器をなめさせられたんですよ。そしたら、入り口の方
でバターンて音がして、『あたしのねえちゃんに何す
るんだ』って花子の声がしてね。それが蝶子も驚くく
らい迫力があって、助けられたんですよ。いざとなっ
たら何するかわからないんですよ。花子は」
やはり姉妹そろってヤンキー娘だったことがわかる。
修羅場もくぐっている。学校はまじめに通ったのかと
訊くと、
「給食だけ食べに行ってました。学校行きたくなくな
ったんで、家でごろごろしてたら、担任の先生がやっ
きて、来るだけは来い、給食だけでもいいからってい
うんで、じゃそうしようかって思って、給食だけ食べ
に行ってましたね。食べた後で煙草吸ってたら、校長
先生に呼ばれて『外では吸うな。ここで吸え』って言
われて、校長室で校長先生と一緒に煙草吸ってたんで
すね。悪い娘でした。私は」
花子も姉と同様だったのかと訊くと、
「花子はまじめでしたから、髪の毛も前をぱっつんと
切りそろえて、紀子様みたいでした。まじめに学校へ
は行ってましたね。花子は高校も一応私立のＳ高受け
たんですけど、バカでしたから受かるはずないですよ。
私たちは六年生の時に九九もできなかったんで、さす
がに母さんがあわてて、紙に九九を書いて部屋に貼っ
て覚えさせられましたよ」
今五十代半ばのその母親も蝶子が写真を見る限り、
若い頃はヤンキー風情だったようである。蝶子たちの
実父と離婚し、再婚した。男なしでは生きられない女
か、男好きのする女なのだろう。義父は蝶子たち親子
を外国旅行にも連れていってくれた善人だったようだ
が、先年亡くなった。実父は二度ほど蝶子たちに会い
に来たらしいが、悪くなっている二人を見て腹を立て、
いきなり蝶子を撲ろうとした。要領のいい蝶子はこれ
をうまくかわした。しかし、不器用な花子は実父の鉄
拳をもろに受けて、鼻血を噴出した。
まるで劇画を観るような波乱万丈の半生を二人は送
っている。
蝶子には子供がいる。結婚はしたのかと訊くと、
「してません。十九のときに極道の男について東京に
行ったんです。若い頃は東京って憧れるじゃないです
かぁ。アパートで暮らして、妊娠したんですけど、そ
したら、彼氏はおろせっていうので、蝶子は産みたい
って言ったら、そのとき、彼氏に妻も子もいることが
わかって、蝶子はもうどうしていいかわからなくなっ
て、そしたら、花子が東京まで新幹線で来てくれて、
彼氏を呼んで話をしたんですね。彼氏がはっきりしな
いから、花子がいきなり、ドンってテーブルを蹴って、
『てめぇはっきりしたらどうなんだ。私の姉ちゃんは
らませといて、責任取れ』ってぶちきれたんですね。
そのときも蝶子が驚くくらいドスきいてましたよ。妹
ながら恐ろしくなりました」
とは言ってもこういう場合女性の立場は弱く、やさ
極道男は責任をとろうとしなかった。そこで義父が「
よし、それならその子は俺が育てる」という決心をし
てくれた。蝶子は浜松に帰って出産した。生まれた子
は義理祖父と祖母、そして叔母である花子によって育
てられることになった。蝶子は一旦は東京に出て独立
したため、郷里に戻ってもアパートで独り住まいをす
ることになった。義父が亡くなった後は蝶子の子の父
親代わりをしたのは花子なのである。これでなぜ花子
が姉の子のめんどうを看ているかがわかった。花子は
いざとなると強いし、責任感があることがわかる。
そこで、けんかをするとどちらが強いかと訊くと、
「それはわたしですよ。わたしがいつも勝ちます。わ
たしは外向き、花子は内向きですからね。性格が全然
ちがいます」
「一卵性じゃないのか」
「二卵性です。でもよく似てるっていわれます」
なるほど区別はつく。一卵性双生児を何組か知って
いるが、まったく区別がつかない。ほくろがあるとか
ないとか、顔が少し長いとか短いとか区別をつけよう
とするがどうみても同じ顔、同じ声でオリジナルとコ
ピーである。蝶子は長年見慣れた花子とはやはり違う。
メールの文面は明らかに違うし、顔がきつく、隙がな
い。むやみなことはできない。花子は顔立ちには優し
さがある。しかし、メールは無愛想で甚だ事務的であ
るが、一緒にいるときは多少のわがままは許してくれ
るところがある。
「花子は好きなんですよ、この仕事。好きなことして
金になるからいいって言ってましたもの。私ですか？
わたしは嫌いじゃないって程度です」
おとなしい女程実は好色なのだと聞いたことがある。
花子は内向きな分、妄想を膨らませて好色になってい
るのだろう。おとなしい女がベッドの上で変異して乱
れるのを見るのはいい。欲望を剥き出しにして求めら
れるのは男にとってはなおいい。
蝶子は外交的、社交的な分、気が利いて、椅子洗い
も行き届いており、バスタオルで丹念に、濡れた佐藤
の身体を拭ってくれた。
「比べるのはよくないけど花子より優しい。お姉さん
の方が・・」
比べるのが女の双子同業者の場合、御法度だという
ことを後で佐藤は骨身に染みて知ることになる。
「ま、そういうことなんですよ」
「え、肝心の話を伺っておりませんぞ。で、双子の姉
はどうだったんですか」
「何が、ですか？」
「床の上のことです」
「ああ、同じです。全くといっていいほど同じです。
女はたいていあの状態からは同じです。顔もまったく
同じに見えて重なりました。感動も何もあまりありま
せん」
小路先生は合点のいかぬ顔をしている。
「全く同じならあまり意味はないということですかな」
「それ自体は別にどうってことはありません。ただ、
双子二人とできたってことが稀有なことで、意味があ
ることではないかと思っています。世間ではざらにあ
って珍しくもなんともないかもしれませんが」
「なるほど」
「すみません。コーヒーもう一杯いただけませんか。
こんなおいしいコーヒーは初めてで、味覚に焼け付け
たいんです」
「よろしいですぞ。じゃ今度はちょっと煎れ方を替え
てお出ししましょう」
（続く）
月刊ＷＥＢ風 ２０１１年７月号 通巻第２８号
［原稿用紙３０枚］