らあめん男 ３５
大堀敏靖
「それはそうと、なんか相談することがあるとか今藤、
言ってたわよね。何」
弦もすっかりズンコを引き留めた理由の件を忘れて
いた。バイトの採用でロシア人にするべきかどうかを
ズンコに一応きいてみなければならなかった。どうや
らズンコが推奨したロシア人のようだったからである。
「開店する店のバイトの募集をかけたら三人応募があ
ったんだよ。その中にロシア人の女の子がいたんだけ
ど、それってズンコの知り合い」
「そうよ。あたしの店でも一時バイトしていて仲良く
なったのよ。すぐあたしの店は辞めたけどね。今でも
連絡は取り合ってる」
「なんで辞めたの」
「夜が遅すぎて勉強ができないとか言ってたわね。頭
いい子なのよ。ロシアのなんとかっていう一番優秀な
大学を卒業してそれでこっちの名古屋大学に留学して
るっていうからメッチャ頭いいんじゃないの。その割
にはあたしの店みたいな風俗店とかラーメン屋で働こ
うなんて考えるんだから変わってるわよね。だけどピ
ュアないい子だから。目が純粋なのよ。あたしいろん
な人の眼を見てきたからわかるけど、あれは純粋で野
心や邪な考えは微塵もない目ね。日本が大好きでそれ
でその一心でこっちに来ちゃったんだから行動力があ
るけど、その行動のモチベがピュアなのよ」
「なるほど」
「だから採用してやって。ラーメンが大好きみたいだ
から」
「でも、好いとうのはラーメンだけやなかっち」
美和が言った。
「あと何よ」
「ユッくんのことを好いとうみたいで、結婚したかっ
ち言うたっちゃ、そんロシア人は」
「マジか。そんなことを…」
「面接でね、そんなことを言うものだから、そんなこ
とを本気にピュアに考えて行動されたら大変なことに
なると思って、美和さんに相談して今こうやってズン
コにも相談してるってわけです」
「それはマズいわね。あの子ならやりかねないよ。猪
突猛進って感じだから。言いたいことは何でも言って、
思ったことは何でも実行して、欲しいものは何でも手
に入れないと気が済まないような子だから。人のダン
ナでも気に入ったら手に入れたくなるだろうね。そし
て実行する」
猪突猛進は美和も同様だった。九州から突っ込んで
きて弦をゲットしてしまった。猪突猛進同士が正面か
らぶつかっては大変である。そんな事態は避けなけれ
ばならない。さすがのズンコも妹のことである。腕組
みをして黙ってしまった。
「あんちゃん。でもウチはそんロシア人でよか思っと
るけん。なんも考え込むことなかよ」
「どうゆうこと。わざと自分を苦しめて快感に浸ろう
って、ドＭか、美和は」
「ウチはハッキリさせたいと。ユッくんがウチのこと
本当はどう思っとるかってこと。そんロシア人が来れ
ばユッくんの気持ちがハッキリするけん」
「結婚した今藤が美和のこと好いとらんはずばなかっ
ちゃろ。今更何確かめると。子供まで作って。今藤。
あんたは美和のことが好きじゃないのか。嫁さんを不
安にさせといていいのか」
「いや、違うよ。美和さんは人というよりラーメンに
妬いているところがあって僕がラーメン一筋なのが不
満みたいなんだよ」
「美和。ダンナが仕事に打ち込むのを邪魔しちゃいか
んばい。しかし今藤。女心というものはね、時として
不安になるものなんよ。一言言ってあげなさい。愛し
ているって」
弦は今更そんな浮いた台詞は言えないと思った。感
謝はしているが好きだとか愛しているとかそんなこと
を言う期間はとうの昔に過ぎている。
「わかった。言うようにするよ」
「今、言いなさい」
「人がいる前でそんなこと言えないよ。日本男児は言
わない」
「ま、九州男児も言わないけどね。でも美和の不安を
一掃するためにも今ここで言いなさい」
「イヤだよ。特にズンコの前ではそんな恥ずかしいこ
と言えない」
「じゃ、あたしが向こうで琴乃の相手しているからそ
の間に言いなさい」
「そんな指図されて言うことじゃないよ。ムリヤリ言
わせて。そんなことで美和さんが満足するとは思えな
い」
そこで美和が言った。
「あのですね、だからそのロシア人が来ればハッキリ
すると私は言っとるとですよ。何もここでムリに愛し
てるとか好きだとかユッくんに言ってもらわなくても
ロシア人の女性にユッくんが迫られたときどうするか
でハッキリするっちゃ」
「いいのか、美和。お前もあたしの妹やけん、相当や
と思うけど、ロシア女は筋金が入っとうと。スレッか
らしの開き直り根性と肉食系の底なしの精力で今藤に
迫ってくるのを覚悟せんといかんけん、耐えられるか」
「アンちゃん。日本は一二〇年前に玄界灘でロシアの
艦隊を撃沈して勝利しとうとよ。やまとなでしこが動
物系の白熊女になんか負けるはずなかっちゃろうもん」
弦は美和が襷がけをして鉢巻きをしめ、なぎなたを
ふりまわしている様を想像した。ロマノフ王朝の宮廷
にいるようなロシア美人に向かって、豆タンクのよう
な美和がなぎなたを揮って挑んでいく。ロシア女はピ
ストルを持っているかもしれない。そこに「止めてく
れ」といって弦が立ちはだかる。
そういう構図になることが予想された。しかし、ラ
ーメン店を晴れて開店しようとするときになんで日露
戦争を再現しなければならないのか。戦争はロシアに
任せておいて、日本は平和国家を貫かなければならな
い。わざわざ好戦的な国家の国民を呼び寄せて、平和
なラーメン店オープンを引っ掻き回される謂れはない。
「ロシア人は採用しない。元風俗のオバちゃんも採用
しない。若い男を採用する」
弦はきっぱりと言った。
「でもその男子、ちょっとイッちゃってる感じなんで
しょ。母親も前面に出過ぎる人なんでしょ」
「仕事はちゃんとしてくれるらしいから」
「そんなことは雇ってみないとわからんちゃ。人の言
うこともろくに聞かずにコミュ能力ゼロなんてお荷物
なだけやなかね」
「じゃあ、元風俗のオバちゃん」
「なによ。元風俗って何してたのよ」
「ソープランド」
「そっちの方が危ないね。今藤に迫ってくるとすれば。
色気はまだあるのか」
「あるね。夜の雰囲気が漂ってた」
「そりゃいかんばい。いかんでしょ」
「ウチはその元風俗のオバちゃんでもいいよ。そのオ
バちゃんがユッくんに迫ってくれば、ユッくんの気持
ちがハッキリするけんね」
「だからさ、そんな気持ちは全然ないって。僕はラー
メンのことしか考えてないんだから。美和さんや琴乃
がいてこんなに満ち足りているのにどうしてそんなオ
バちゃんや外人に心が向かなければならないわけ。浮
気をするような男は家庭の中に不満があるんだよ。家
に帰りたくなかったりして。それで外に癒しの場を求
めるんじゃないの。僕は美和さんに十分癒されている。
何の不足もない。琴乃がかわいくて仕方がない。こう
いう幸せに背を向けて何をしようっていうの」
「だけどね、コンドウ。人間ってのはわからないとこ
ろがあるもんなのよ。きれいな奥さんいるのに、多目
的トイレで行きずりの女を捕まえて万札渡してやって
いた芸人がいたね。奥さんってバリ美人なのよ。ダン
ナがそんなことして仕事干されても許すような良妻な
のよ。それでもそんなゲスなことをして楽しみたくな
るってのが人間なんだから」
「それは一部の特殊な人間のことで僕は大多数のごく
フツーの人間なんだからそんなんじゃないよ」
「そうか。今藤は普通か。美和どげん思う。今藤はノ
ーマルか。変態チックな性癖はなかか」
美和はしばらく上向き加減に考えた。
「フツーだと思う。もう少し変態チックにねちっこく
してくれればよかっち思う」
「夫婦のことをよく言ってくれたね。そうか、今藤は
淡白なのか。これから美和は女盛りを迎えるんだから、
コンドゥ。女の身体を満足させるように付き合ってや
らないといけないよ。美和が求めても疲れているから
って寝てしまうようでは妹はがっかりして、そのうち
若い男を求めて浮気するようになるかもしれないから
ね」
「ウチは浮気なんかせん。ユッくんしかおらん」
「今はそげん言うとってもね、女の身体からあふれ出
るホルモンが男を求めて彷徨し出すんだよ。心とは裏
腹に身体が動いてしまうっちゃ。自然の力は絶大なも
のがあるけんね、美和もそのうちわかるったい」
「絶対なか。ウチは野獣やなかけんね。意志というも
んを持った人間ばい」
「ズンコ。妹を挑発するというか、悪魔の世界に引き
ずり込むような言い方は止めてくれよ」
「悪魔の世界…。あたしは悪魔か」
「魔王のような雰囲気があるし、悪魔じゃないにして
も、そういう世界を僕たちより良く知っているってい
うか…」
「おい。コンドゥ。仮にも義姉に向かってよくも悪魔
呼ばわりしてくれたね。あたしが悪魔なら美和もその
妹だから小悪魔じゃないか。その小悪魔と結婚したお
前も同類じゃないか」
また始まったと弦は思った。僻みっぽいオカマと話
しているとすぐに口論になる。しかもまったくバカげ
た口論で意味がほとんどない。
「そうだね、悪魔は言い過ぎた。謝るよ、ゴメン。し
かし美和さんは僕の妻だからね。その妻をたとえ義姉
さんとはいえ、若い男を求めて浮気するに決まってい
ると決めつけるのはよくないじゃないの」
「決めつけてるんじゃないよ。警告しているだけ。今
藤がラーメン店経営にばかりに夢中になって仕事にか
まけて家庭を顧みなくなると得てして心さびしくなっ
た女盛りの熟妻は若い燕を求めて彷徨ったりするもの
なのよ。美和がそうなるかどうかはわからない。女が
みんなそうなるわけではないから。でもそうなったと
しても悪いのは女のほうばかりでなく、女をそういう
窮地に追い込んだ男も絶対悪いんだから。だから今藤
も気をつけた方がいいって言ってるのよ。わかる」
「わかるよ。でもそうすると僕は美和さんがもう少し
って要求する変態チックなしつこい男になったほうが
いいってことかな」
「そうだよ。そうなんじゃない。妹を愛してやってよ。
満足させてあげて。女の悦びをしっかりと教えてやっ
てよ」
「女の悦び…」
「女として生まれてきたからには十分堪能したいでし
ょ。堪能する権利があるはずよ。しっかり味わわせて
あげて」
「女の悦びを味わう権利を満たす…。ボクにできるん
ですか、そんなこと」
「まずそういう意志を持つことよ。妻に女の悦びを与
えてあげるっていう」
「むずかしいなぁ。でも、わかった。やってみるよ。
ところでズンコはそういう悦び、知ってるの。女の悦
びっての」
「あたし？あたしはもちろんいろいろ経験してきたか
らそれなりに知ってるわよ。男の悦びも女の悦びも、
両方ね」
「両方…」
「それがオカマの特権でしょ。両方知ることができる
っていう」
話題がどんどん訳のわからない方向に展開していっ
てしまう。美和が修正を試みた。
「話がそれ過ぎたようやね。ユッくんどうする」
「ますますわからなくなった。ズンコ義姉さん、どう
しよう」
「最終的にはあんたが決めるしかないけど、アタシの
意見を言わせてもらえば、オール・オア・ナッシング
だろうね」
「全てかゼロか、ってこと」
「そう。おそらく募集をやり直してもそんな感じの問
題ありそうな人しか集まらないでしょうね。あんたに
はそういう雰囲気があるもん」
「どーゆう雰囲気よ」
「変態を寄せ付けるような雰囲気ね。変態人間に好か
れそうなのよ」
「それじゃあ、あなたたちも変態ということになるよ」
「あたしはもちろん、美和もその類でしょ。九州から
あんたを追っかけて突っ込んできたんだから普通じゃ
ないわよ」
「ウチは普通と言われるより変わっていると言われる
方がよかかも」
「でしょ。だからあんたは変態を惹きつけているんだ
よ。バイトも変態しか来ない。まともな人が来たと思
っても絶対根付かない。すぐに辞めちゃう」
「変態を惹きつける…。それは喜んでいいことなのか、
落ち込むことなのか、どちらなんだろう」
「変態にはね、タダの変態もいるけど、時々天才もい
るからね、人類に貢献するような変態も偶にいるから
そう嘆くことでもないよ。ほとんどはタダの変態だけ
ど」
弦は若いころから付き合ってきた友人を思い起こし
た。そういえば中学以降の友人は変わったヤツが多か
ったような気がする。大堀にしても塾の講師をやりな
がら小説なんか書いて結婚もせずにふらふらしている。
小拙師も僧侶であるにも関わらずアイドルに嵌ってコ
ンサートなんかに出かけたりしている。お世話になっ
た麺屋やまとの店長恭子さんも麺と出汁づくりに狂気
じみた没頭の仕方でとても普通とは思えない。前の会
社でも気が合う人間といえば、競馬やパチンコやアダ
ルト・ビデオにはまり込んで営業成績のあまり芳しく
ない人間が多かった。
「確かに文科省が推奨するような健全な人間は友人知
人の中にはいなかった。そういう人間がボクに近づい
てよくしてくれたことはあったけど、どこかに失望し
て僕から離れっていったかもしれない。ボクがそうい
う人間との付き合いより、どこかねじけたクセのある
人間の方に魅力を感じたからかもしれない」
「そうだよ。よくわかってんじゃないの。あんたはそ
ういう変態と付き合ていくという星の下に生まれてる
んだから、肚を括って変態と付き合っていくべきなの
よ。それがいやなら変態はシャットアウトして独りで
生きていくしかないわね」
「わかりました。ズンコ義姉さんはボクが変態しか惹
きつけないから変態的なその三人全部を雇うか、誰も
雇わないかのどちらかという意見だね。じゃ美和さん
は」
「ウチは何度も言うように個人的な立場から女の人を
雇ってユッくんの気持ちをハッキリさせたかけんね。
ロシア人か風俗上がりの人がよかっち」
「わかった。二人の貴重なご意見を参考にさせていた
だきます。バイトはいずれにしても必要だと思うから
だれかは雇わないといけないから。三人の内だれか、
または美和さんかズンコ」
「あたしッ？」
「それも選択肢にあるから」
「何言ってんのよ。ムリに決まってるでしょ。あたし
はあたしのお店があるから。なんでラーメン店までか
けもちで働かないといけないのよ」
「そちらの店は辞めるか少なくしてもらってこっちで
働いてもらう」
「なんであんたがそんなこと勝手に決めてんのよ。あ
んたにそんな権利があるのか。あたしが望んでもいな
いことを勝手に決めるんじゃないよ」
「妹のダンナの店なんだから手伝ってくれてもよくな
い」
「シャーシイわ。ばりウザか、この男。美和なんとか
しなさい。職業選択の自由は憲法二二条で保障されて
んだよ。そりゃ、親類の開店の時は、たいへんだろう
から手伝うくらいの常識はあたしだってあるわよ。で
も、なに、仕事を変えろって。どうしてあんたにそん
なこと強制されなきゃいけないのよ」
「ズンコにそばに居てほしいんだよ。一緒に仕事した
いんだよ」
「気持ち悪いこと言うな。美和。あんたのダンナはこ
んな気色悪か、身勝手な男やったのか。さっさと離婚
したほうがよかばい。ろくでもなかかッ」
弦はロシア人やオカマが店員にいることは店の個性
としておもしろいと思った。多様化の時代、時代の先
端をいく進んだラーメン店として評判になり、ＭＨＫ
が「おはようジャパン」なんかで取材に来てくれるか
もしれない。テレビに出れば店の宣伝になり、そのロ
シア人やオカマを一目見たいと、ラーメンの味よりも
それが珍しくて来店する客が増えるかもしれない。も
ちろん味で勝負したいが、店が注目を集めて評判にな
ることは閑古鳥が鳴くような店になるよりは歓迎すべ
きことである。
「イヤならいいよ。ちょっと反応を見たかっただけだ
よ」
「オカマをバカにすんじゃないよ。日本中の仲間に声
かけて店を潰すくらいのことはできるんだからね。あ
たしたちの結束はメッチャ強いんだから、オカマをナ
メるんじゃないよ」
「ナメてなんかいません。尊敬してます。だからズン
コさんが手伝ってくれたらいいなぁって思っただけで
す。ズンコには客としてちょくちょく顔を出してくれ
るだけでいいです」
「そうだろ。それくらいがちょうどいいのよ。あたし
が四六時中店にいたら、オカマ嫌いの客もいるだろう
から＋｜ゼロで結局意味なくなっちゃうから。客とし
て行ったときは歌ったり、ミニオカマショーでもやっ
てあげるわよ。ウケるわよ」
「ミニ・オカマショー…、おもしろいかも」
弦はそんなことまでは想定していなかった。ラーメ
ン店で仲間を呼んでオカマショーなんかやられたら半
分以上の客はドン引きするだろう。気の弱い男はオカ
マにからかわれて二度と来なくなるかもしれない。女
性客には意外とウケるかもしれないが。
「いいね。ズンコ、ぜひオカマショーやってよ。店が
活気づくから」
弦は心にもないことを言った。
「でしょ。そういうことでなら、あたし、貢献できる
から」
しかしそこで美和が口を開いた。
「ウチはアンちゃんはあまり関わらんほうがよかっち
思う。ユッくんはオカマバーみたいな騒がしい店を作
りたいんやなかけん。静かなツウの通う、味で勝負の
ラーメン店なんやから、アンちゃんが関わったらぶち
壊しになるっちゃ。たぶん」
「今度は美和が挑発的なこと言うのか。あんたたち夫
婦はそうやってオカマを拘束してコキ使ったり、逆に
排除して苦しめようっていう算段なのか、美和、兄妹
の縁を切りたいのか」
「アンちゃん、店にはコンセプトっちゅうもんがある
たい。それはアンちゃんも店の人間やからようわかっ
とう思うけど、オカマバーに幼児やお年寄り、身体の
不自由な人がやってきたら場違いな気がすっとやろ。
ラーメン店でアンちゃんがオカマショーをやるなんて
ことは場違いなんよ。そげんことはしたらいけん」
「いや、お寿司屋さんなんかでマグロの解体ショーを
やったりするから、ラーメン店でオカマショーでも場
違いではないと思うよ」
待ちの客の前で歌やダンスをやったことのある弦が
言う。
「お寿司屋とマグロは大いに関係あるけんよかよ。ば
ってん、ラーメンとオカマは無縁やろ」
「確かに。ラーメンとオカマは関係なか。ご飯とオカ
マなら関係あるけど。ライスはメニューにあるのか、
今藤」
「あるよ」
「ご飯を出すにしても、オカマの意味が違っとろうも
ん。アンちゃんはご飯炊くオカマやなか」
「ご飯炊き係になってもらってもいい。オカマが御釜
で炊く本格ご飯。いいかもね」
「なんであたしがあんたの店で御釜ご飯を炊く係なん
かやらなきゃならないのよ。そんなもの炊飯器で炊け
ばいいでしょ」
「ホンモノ志向にしたいからね。ライスも美味しいっ
て言ってもらいたい」
「自分で炊け」
弦は少し間をおいて言った。
「ボクはね。本当は正直なところ、美和さんと同じで、
店のコンセプトもあるけど身内はあまり仕事場に入れ
たくはないんだ。仕事と家庭はキッチリ分けたい。美
和さんやズンコの顔を見ると仕事の中にプライベート
が入り込んで集中できなくなるかもしれないから」
「それはあたしも同意見よ。仕事は仕事だからね。家
庭を忘れて仕事しないと本当にいい仕事はできないか
らね。仕事っていうのはね。本当にいい仕事をしよう
としたら家庭のことは忘れなきゃね」
オカマバーで客と遊んでいるようなことが仕事とい
えるのかと弦はしみじみというズンコが一瞬滑稽に思
えたが、彼らの仕事も人の心を癒すという社会の一端
を担う重要な役割がある。たかがオカマバーの仕事と
言い出せば、ラーメンだってそんなもの食べなくでも
人生は成り立つし、ラーメン店がなくとも社会は回っ
ていく。しかし、どうしてもラーメンが食べたくて行
列して待つ人もいるし、オカマバーでバカ騒ぎをして
翌日からまた会社の仕事に打ち込める人もいるのであ
る。どんな仕事でもなければないでなんとかなるかも
しれないが、需要がそれなりにあるから成り立ってい
る。職業に貴賤はないというが、必要性からいえばた
しかにどの職業も大差ないとはいえる。貴賤はあるか
もしれないが。
オカマバーの仕事は客と酒を飲んでバカ騒ぎをして
楽しいばかりではないかと傍からは思えるが、営業と
言うからには「仕事」という頭がある。プライベート
の遊びとは異なる。様々な客がいてその客の需要に応
えて満足してもらわなくてはならない。客が来る前は
緊張するし、客が帰れば解放感があるはずである。頭
は仕事モードになっている。趣味の延長で楽しんでや
っているような仕事でも、仕事は仕事で私生活とは切
り替わっている。
本当の仕事は楽しむ境地になってやるものだと思う
が、仕事は楽しみがあるからやれるものであって苦痛
ばかりでは長く続かない。いい仕事をしている人は必
ず楽しんでいる。遊びの境地に入って仕事をしている。
だからそういう仕事をするには気持ちを集中しなけ
ればいけないから、そこに身内の顔がちらついて家庭
のことに集中がそらされてしまってはいい仕事ができ
なくなるかもしれない。
美和が言った。
「ウチもそう思う。私はラーメンのお店を手伝っても
いいんだけど、ユッくんがラーメン作りに専念できな
くなるのなら、それはよくないからウチは顔を出すべ
きじゃないと思う。私だって子育てに真剣になったら
ユッくんでも横から口を出されたら黙っとってっち思
うことあるけんね」
「さすがあたしの妹だ。わかってる。今藤、喜びなさ
い。あんたの妻は理解してくれてるみたいだから」
「夫婦でやってていい味出してる店もあるけどね。奥
さんが仕事をよく理解していて、ダンナの邪魔になら
ないように配慮できる人なんだろうね。職場に家庭は
一切持ち込まない盟約のようなものがあって固く守ら
れているんだろうね、きっと」
「賢い女もいるし、バカな女もいてダンナの仕事を潰
してしまうようなサゲマンもいるのよ。美和はどっち
だ」
「美和さんはあげまんだと思う」
「なんな、それ。さげまん、あげまんち」
「あげまんは東京の門前仲町に本店がある名物のお菓
子だよ。あれは美味しいね」
「なら、さげまんはなんね」
「男を台無しにする女たい。美和はどっちやろ」
「ウチはお菓子やない」
「美和さんはボクにとっては幸福の女神だから確実に
あげまんだと思う」
「なんかそんな話してたらお饅頭食べたくなったね。
普通のお饅頭でも油で揚げればあげまんになるのよ。
アンコの甘みと油の旨味で絶品だよ、あれは。今藤、
ひとっ走り行ってお饅頭買ってきなさいよ」
話があらぬ方向に飛んで行ってなかなかまとまらな
い。バイトを誰にするかという話をしているのである。
「わかった。買ってきてもいいけど、バイトどうしよ
う。結論が出ない。今日明日には三人に連絡しないと
いけないんだけど」
「だから三人とも採用か誰も採用しないか」
「ウチはロシア人か元風俗オバさんか」
「そして身内は入れない方がいいということか…」
「あとはあんたが店長兼オーナーなんだから決めなさ
いよ」
「二人の意見を両方とも立てるとすれば全員雇うって
ことになるね」
せっかく募集に応じて来てくれた人たちであるから
何某かの縁があるように思う弦は三人とも雇うことに
吝かではなかった。しかし、一度に三人も雇ってそう
広いとは言えない店内に三人もバイトが突っ立ってい
ては客の方が少ないかもしれず、少ない客は、いずれ
も濃いキャラの店員に圧倒されて窮屈を感じるかもし
れない。そこへズンコのような客がやってきて俄かに
オカマ・ショーなんかやり始めたら逃げ出してしまう
だろう。
「そうしなさい。全員雇いなさいよ。そうすればきっ
とお店は繁盛すると思う。バイトを雇ったからには流
行らせないといけないと今藤に圧がかかるから、あん
たはそうなると力を出すタイプだからきっと繁盛して
バイトは必要になってくるよ。最初は赤が出ても人員
は確保しといた方がいいと思う」
「オープン数日はおそらく客がいっぱいだから人手は
必要だと思う。でもその後だね。落ち着いてきたとき
に三人も要らなくなると思う」
「それだったらシフト組めばいいのよ。いつも三人い
る必要はない。一人か今藤一人で回せる時間帯と忙し
い時間帯とがあるだろうからシフト組んで来てもらえ
ばいいのよ。いつもいてもらう必要はない」
オカマ・バーのオーナーではないが、店長のような
立場にあるズンコはアドバイスしてくれる。従業員と
経営する立場ではやはり視点が違ってくると弦は改め
て思う。
「バイトを回していくというのも大変なんだね。手伝
ってくれる人を一人雇えばいいと軽く考えていたんで
そんなことは頭が回らなかった。
「頭、回しなさいよ。グルグルと。経営者の苦労って
のはそういうところにあるんだから。だけど経営者に
しか味わえない旨味っていうのもあるから。シューテ
ィング・ゲームと同じでね、いろんな障害があちこち
に待ち受けているのよ。だけどそれを巧みに交わして
進んでいく。そこが面白いところなんだよ。従業員は
そんなこと何も考えなくていいから気楽でいいんだけ
ど、経営する立場は頭をグルグル、絶えず回して現実
と戦っていくのよ。それをゲームのように楽しめるよ
うになれば成功するだろうね。苦痛ばかりで耐えきれ
なくなったらさっさとお店、畳んだ方がいいわね」
「含蓄ある言葉です」
「美和がバックアップしてくれるし、あたしも応援す
るから、たぶん大丈夫」
「それは頼もしい」
「あたし、高校時代に応援団やってたから」
ズンコは拳を握って腕を交差させ、それを前に伸ば
して開いた。
「押忍（ウッス）。空手部の人たちが中心になって応
援団やってたんだけど、クラスから一人ずつ応援団員
が選ばれてね。あたしがどういうわけか選ばれちゃっ
て、クラスの連中にハメられたのね。野球部の県大会
があるまで毎日放課後、校舎の屋上で練習してたんだ
けど、あたし、空手部の主将の先輩が好きになっちゃ
って、その時初めて男の人の方がいいってことをハッ
キリ自覚したのよ。ステキなリーダーだった。背は低
かったけど目が涼しげで、型をやった時にあたしの身
体を抱きしめるようにして後ろから型を正してくれた
のよね。頭がクラクラして天に昇るような気がしたわ。
この人のためなら何でもできる、この人になら何をさ
れてもいいって思ってね。いやいや始めた応援団だっ
たけど毎日が楽しくて早く放課後にならないかしらっ
て授業中もぼんやりして数学の先生に当てられて答え
られなくてしっかり聞いてろって叱られたりしたわよ。
野球部がずっと勝ち続ければ柳田さん、そのリーダー
の名前ね、柳田さんと一緒に居られると思って、あた
しはマジで野球部を応援したわ。でも県大会一回戦敗
退で野球部員がグラウンドで泣いているのを見たらあ
たしも悲しくなって観客席の片隅で泣いてたのよ。そ
したら柳田さんが私のところにやってきて『お疲れさ
ん。しっかり団をやってくれてありがとう』って言っ
てあたしの目を見て、両手で握手してくれたのよ。も
う失神しそうだったわ」
ラーメン屋を応援するという話からズンコの男色遍
歴の一つを聞くことになった。聞きたくもないことだ
ったが、
「へー、そんなことがあったの。で、どうなったのそ
の先輩と」
「初恋はたいていうまく行かないものなのよ。悲恋に
終わるものなのよ。あたしは柳田さんとお付き合いが
したかったから、手紙を渡そうと思ってたんだけど、
噂を聞いてしまったのよ。柳田さんはかっこいいから
他の女たちが放っておかないでしょ。学校一の美人で
生徒会長をやっている人と付き合っていることがわか
って、あたしは悔しくて悲しくて、ベッドの中で泣い
たわ。あたしが泣いてたらまた柳田さんが部屋の中に
入ってきてあたしを抱きしめてくれないかしらって待
ってたんだけど、来るわけないよね。あたしの初恋は
それで終わったのよ」
「へー」
つづく
月刊ＷＥＢ風 ２０２３年５月号 通巻第１７０号
［原稿用紙３０枚］
