らあめん男 ２４
大堀敏靖
「えーッ」
私は驚いた。弦も興味深々の顔でマスターを見つめ
た。
「高校生が彼女なんですか」
「養子、というべきか、彼女なのか…」
「えーッ」
「そんなに驚くことか」
「これが驚かでいられましょうか。まず年齢差が犯罪
的です」
「だから養子と言っとる」
「彼女として手を出していたら、です。二重の意味で
犯罪です」
「そんな法律あるのか。養子にした女の子と仲良くな
って犯罪か」
「淫行です。青少年保護条例に反します」
「アヤは十八は超えとる」
「あ、そうなんですか？それならいいか、って、にし
てもですよ、いくつ離れた彼女なんッスか」
「ソレガシが五十一、アヤが十八で、三十三違いや。
許容される範囲やろ」
「イヤイヤイヤ。親子以上の差ですから犯罪的です。
禁断の部類に属します。養子というなら血は繋がって
ないにしても親子ですから近親相姦になります」
「親子が仲良くして何が悪い。けんかしとるよりはえ
えやろ」
そう言われてみると悪くないかもしれない。血が繋
がっていない親子が仲良くなって子供を作ったとして
も法的には引っ掛かる部分もあるにしろ素の男女の結
びつきになんら不自然はない。年齢差も関係ない。ア
フリカの部族の酋長は百十歳で十九の嫁を迎えたとい
うからその九十一の年齢差と比べれば三分の一に過ぎ
ない。マスターの言う通り十分許容範囲である。
「言われてみればそうかもしれません。仲良くするこ
とは悪いことではないですから。七十の爺さんが孫に
手を出して妊娠させたという話が海外でありましたが、
それと比べたら全然ＯＫかもしれません。それにして
も、どういう経緯であんな若い子と…」
「看板間際に蛍の光を流しているところに入って来た
のがアヤだった。テーブルの一点をジッと見つめて注
文もせんのでソレガシが話しかけた。『どうした。彼
氏にフラれたか』と訊くとアヤはこっくりと頷いた。
われながら図星だったので驚いた」
「マスターは人の内面を言い当てるんですよ。さっき
も僕の考えてることをそのまま言い当てましたから」
「記者時代に身に付いたサガかもしれん。海千山千の
政治家の番記者やってた。ウラを読むことばかりやっ
とったから素人の内面なんか簡単に読めるようになっ
てまったかもしれん」
「で、どうしたんです」
「ソレガシは店を看板にして暖簾を取り込んで、悄然
とした少女の話を聞いてやった。なんでも相手は高学
歴の男で、東大をあきらめて早稲田大学の政治経済学
部の政治学科を出た男やったらしい。少女とは合コン
で知り合って男の方から積極的に迫ってくる。キツネ
のようなつり目でよくしゃべるのでイケすかないヤツ
だと初めは思っとったらしいが、執拗に迫られればか
わいそうだというような情にホダされる気持ちになっ
て女はいつの間にか男のペースに巻き込まれてしまう。
分かるか、君たち」
私は出身が同じワセダの男と聞いて聞く気になった。
学部学科も私と同じである。と言っても同年代にして
も五百人もいて顔見知りでもなければ親しくしたわけ
でもなく、同じ括りの中に入れられてもほとんど共通
項なんてないのが実際である。同じ空間に一時身を置
いただけの話にすぎない。しかし、それでも共通に仰
ぎ見た何かは一時的にしろあったかもしれない。まっ
たく縁もゆかりもない人間よりは親しみのカケラくら
いはあるかもしれない。その中に純粋だかスレタか分
からないが少女を泣かしたヤツがいたというのである。
「わかります。母性本能が刺激されるんでしょう。女
性は押しまくられると身体から反応しちゃうんですよ
ね」
「そう。子宮がまず反応する。それが脳に伝わって憐
憫の感情が動き出す。そして憐憫が恋愛に変わる。妙
な自信を持った男は女のそういうメカニズムを心得て
いて、初めは嫌がられても嫌われてもとにかく押しま
くる。こちらを向かせることに情熱を傾ける。少しず
つ手応えをつかんで弱いと見えた部分を執拗に攻めま
くる。昔の戦の手法と似とる。城を攻め落とすのも同
様にやったんやろう。弱いところから突き崩す。そう
すると女はあれほど拒んでいたものが全面降伏してし
まうと、今度は向こうからこちらを求めてくる。ベタ
ッと寄りそってくる。男は初めはそれをかわいいと思
うがやがて次第にわずらわしくなって、今度は別のこ
ちらを向かない女に情熱を傾けたくなって、女からは
次第に心が離れていく。わかるか、君たち、こういう
メカニズムが」
「わかります。でも近頃は女性の方が逆にいい男に目
をつけると押しまくって、男が自分のモノになってし
まうと、ポイとごみのように捨てて次のイケメンや言
いなりになる都合のいい男を求めて渉猟の旅に出るよ
うです。それって許せないですよね」
「許せないが、男も同じようにマジメな晩稲（おくて)
の乙女たちの心を弄ぶヤツがいるのだから、五分五分
の引き分けやと思う」
私はかつて私に迫ってきたイケイケギャルの女たち
のことを回想していた。男に弄ばれる純な乙女も気の
毒だが、イケイケの快楽本位の女たちに振り回された
まじめな男たちももっと悲劇ではないか。しかし、客
観的に見れば悲劇というより喜劇で物笑いの種になっ
ている。イケイケのズベタ女に振り回されるほうがど
うかしているといえるのであるから、そういう女が迫
って来たとしても軽く受け流して、テキトーに相手し
て楽しい思いだけして向こうが離れて行けばラッキー
と思わなければならない。
私のように女に弄ばれてまじめに恋をしていた分地
獄を味わったような経験を、マスターは持ち合わせて
いないようである。アヤという彼女を捨てた、いい加
減な男が許せない気持ちが強い。しかし、考えてみれ
ば元カレがいい加減であったが故にマスターはアヤを
ゲットできたのだからその点はいい加減な元カレに感
謝しなければならない。
「元カレには感謝しなければならんと思っとる」
また人の内面を見透かしたようなことを言った。
「で、アヤはそれから毎日この店に通うようになった。
ソレガシの作った、徳田ネギと宇都宮のモヤシが大量
に入ったラーメンを食べるとホッとして心が落ち着く
というんやな。そのうちにラーメンやなくてソレガシ
の顔を見ると落ち着くということが分かって、毎日通
うのが面倒になって店を手伝うから住み込みで働かせ
てくれと言うんで、そんなことは両親が許さないだろ
うと言うと、両親なんてのはどこにいるかも定かでな
く、叔母さんと祖母さんに世話になっているが、友だ
ちのところに泊まることも多くてどこへ行こうが泊ま
ろうが許してくれるので平気やというわけだ」
「かわいそうな子なんですね。親の愛情が欠落してる
んで、マスターのような歳の離れた男の人に親から注
がれなかった愛情を得たいとして近づいてくるんです
ね」
「大島さん、あんた鋭いね。小説書けるよ」
「大堀ですッ。前から書いてます、小説」
「え、そうなの。大堀さんは小説書いとるの」
「私も同人誌に参画してますから。三つくらいのに参
加してます」
「そうなのか、大島さん。スゴイね」
「だから、大島じゃなくて大堀って言ってるでしょ」
「失礼。大堀さん。ま、そんなのどっちだっていいよ。
それでね…」
人の名前や小説を書いていることを、そんなのどっ
ちだっていい、という。
「それでね、住み込みで働かせてほしいと言うんで、
働かなくてもいいからしばらくここにいなさい。女の
子の一人くらいは養えるラーメン店だから心配はいら
ないって言ったら、私、店長さんの女になりますから
好きなようにしてください、なんてことを言う。ソレ
ガシも流石に驚いて今どきの高校生は随分と考え方が
進んどると感心したわ」
「で、愛人として囲うことに」
「愛人でもいいんだが、両親の行方も定かでないとい
うかわいそうな身の上やでな、ソレガシは密かにアヤ
の叔母と祖母と連絡を取って、よろしければアヤさん
を養子にしたいと思うが異存はありませんかと言った
ら、それは願ってもないことだからよろしく頼むとい
うことで、話はまとまってしまった。なんか犬猫の引
き渡しのようでソレガシはアヤが本当に不憫に思えて
きて、一生大事にめんどう見てやろうと心に誓ったも
んだわ」
「エライですね、マスター。見ず知らずの少女のめん
どうを引き受けちゃって」
「なかなかできないことだと思います」
弦もコメントする。
「ま、お気づきとは思うが、ソレガシにも下心があっ
て、アヤはソレガシのタイプの女だったんや。タイプ
としてはズバリ、正解、ビンゴで、ほぼ昔から頭に描
いていた理想形の顔立ちと容姿をしとった。オッパイ
が大きかったこともある」
「巨乳ですか」
弦が尋ねる。
「その部類やと思う。高校生にしては出産した後の妊
婦も顔負けの乳をしとる」
「養子縁組をすることによって、その巨乳を夜ごと独
り占めして恍惚感に浸れるというわけですか」
「ソレガシ、新聞記者を辞めてラーメン一筋、脇目も
振らず頑張ってきたご褒美として天が与えてくれたギ
フトやと解釈しとる。天からのギフトはありがたく押
し頂いてわがものとする」
「なーるほど。天来の恵贈かぁ」
「無欲で、夢中になってやっとると妙にハイテンショ
ンになって、金も名誉もいらなくなる。そうすると願
ってもなかったことが実現する。人生というのはそう
いうもんやろ」
「弦君。メモっといた方がいい。至言だから。ラーメ
ン店を営むには無欲かつ夢中にならなければいけない
っていうことですね」
「そう。その通り。お客さんを喜ばすことをまず一番
に考えて、もう一回食べたくなるような旨いラーメン
を作る。試行錯誤を繰り返しながらこれや！と思う一
杯を夢中になって開発していたところには、宣伝をし
なくともお客さんが行列を作ってくれて、たくさんの
お客さんがきてくれるもんで、ますます旨いラーメン
を作ろうと夢中になる。もっともウチの場合は味を変
えると常連客から文句が出て、創業の味を守れ、とか
先代からの味を変えるな、とか言われるんで研究開発
するモチベがあまり上がらんがな。しかし、父祖伝来
のラーメンをひたすら作ることに情熱を傾けて、金儲
けとか店の採算とか全く考えなくなって、考えなくて
も店の経営は順調に成り立って、従業員も増え、店舗
拡大の話も出て、テレビ局も取材に来て、客は増える
一方となる。それでも有頂天に天狗にならずひたすら
ラーメンを作っているとアヤみたいな贈り物が天から
下される、そういうことになっとる、世の中というも
んは」
「楽しいですか、毎日」
「楽しい。ワクワクしとる。朝も目覚めるとすぐに起
きて何かしたくなる。起きとったほうがワクワクする。
布団の中にもっとおりたいとはあんまり思わん」
「でも、彼女と布団の中で楽しいでしょう。客観的に
見れば相当楽しいでしょう」
「確かにそれは楽しい。楽しいというか気持ちいい。
しかし、ラーメン作りをやって分泌される快感ホルモ
ンのアドレナリンと比べれは質的にも量的にも雲泥の
差がある」
「やっぱ夜の秘め事の方が楽しい」
「逆やて。仕事の方が圧倒的な快楽でしかも長続きす
る。セックスの場合は無限の快楽に見えて放出してま
えば虚無が待っとる。そればかり追っかけとると、快
楽の後は荒涼とした砂漠や。人生が無価値に思えて、
倦怠感に苛まれることになる。だからああいうことは
日を決めてたびたびやるのが一番やね」
「だけど、ですね。若いころは血気盛んで、ギラギラ
していて我慢なんかできないんです。若い女の子がい
て自分の自由になるようなシチュエーションにおかれ
ているならば、毎晩、夜もすがらまぐわい続けて、精
も魂も尽き果てるまで快楽を貪りたいと願望するのが
普通です。若さとはそういうもんです。それをマスタ
ーがおっしゃるように、プログラミングされた機械の
ように決められた日にしか許されないという快楽では
物足りません」
「若い人はやりたいだけやればええ。子孫繁栄のため
には統制された快楽では人口が減ってまうで。女体を
見たら発情して、チンポコを固くして突進してけばえ
え。有り余る欲望のために虚無も倦怠も感じてる暇は
ない」
「で、マスターは彼女を養子にして、ゆくゆくは夫婦
として結婚するわけですか」
「それもありかと思ったが、弁護士に聞いたところそ
れは民法上許されんらしい」
「そりゃ、仮にも親子ですからね、直系尊属っていう
ヤツでしょう。血のつながりはなくとも親子ではムリ
でしょう」
「養子縁組を解消すれば元来血のつながりもないソレ
ガシとアヤなんやから結婚できると思ってたが、その
考えは甘かった。元養親と元養子は結婚できんらしい」
「えーッ、マジですか。それはじゃあ禁断の恋と言う
ことになりますか」
「恋なんて気持ちはない。関係はあるが」
「じゃ、不倫。近親相姦」
「そうなる。だから表向きには親子として振る舞い、
内向きには夫婦として生活することになる。まぁ、実
際はほとんど親子としてやっとるが」
「しかし、マスターもすごいと思いますが、三十三歳
も歳の離れた男性と夫婦関係をめざそうとするアヤさ
んもすごいと思います。財産目当てとか下心があると
も思えないですし、純粋にマスターに恋愛感情抱いて
いるとすれば驚異です」
「男はたいてい若い女の子がいいというが、女は一様
ではない。若い男を漁っている年増の女もいるが、年
上しかダメだという女も結構いる。ハゲおやじしか感
じないとか、腹の出たデブ爺がいとおしいとか、介護
を必要とするおむつをしたようなじいさんしか濡れな
いというような変わり種の女も結構いるんで、男は救
われる。男は若いころは年増の女を相手にして修行を
積み重ね、老いては若い女を相手にして性感帯の開発
に協力して施しを与えてやれば世の中まあるく収まる
とソレガシは思っておる」
「尊敬します。男の生き方の理想形ではないでしょう
か。ラーメン作りという仕事に打ち込む傍ら私生活で
は子供と孫の中間くらいの世代の若い女の子といい関
係になって欲望の虜になるのではなく、求めに応じて
施しを与えるという聖者に近いような境涯にいらっし
ゃる。まったく男の生き方の見本のような生き方です。
あやかりたいと思います。な、弦、そうだよな」
私は弦に同意を求めた。ところが弦は不本意そうな
顔をしている。
「違うのか。マスターは男の生き方の理想形とは思わ
んのか」
「いや、いいとは思うけど、女の子と養子縁組とか実
質夫婦関係というのは蛇足だと思う。そんなことはラ
ーメン作りとは何の関係もないと思う。僕はまったく
興味がない。マスターは家業がラーメン店でありなが
ら、一旦はその仕事に背を向けて、新聞記者の道に進
まれた。それはお父さんに対する反発もあったかもし
れないけど、気持ちがラーメンから離れたことは確か
だし、本当に目指したのは小説家だったということだ
から、まっすぐラーメンの道を進まれたわけではない
ですよね。今は家業に収まって父祖伝来のラーメン作
りに勤しんでらっしゃいますが、またいつ別の道にソ
レるかもわからない危うい職業意識と覚悟の脆弱性が
感じられます。それに加えて若い女子を囲い込んで夜
の相手にしているということは、僕的にはあまり感心
することではありません。ハッキリ言って不純です。
すみません」
私は弦が想定外のことを言い出すので驚いた。ラー
メンに懸けるピュアな気持ちが溢れる主張だった。し
かし、マスターは弦から否定された形になってしまっ
た。さぞ不愉快な気持ちになっただろうと思いきや、
新聞記者をやって世間を覗いてきたマスターもさる者
だった。まったく動じない。
「今藤さん。ハッキリ言ってくれてありがとう。確か
に蛇足で不純だろうね。アヤはこの『デブ丸』ラーメ
ン店にとって必要不可欠な存在ではない。いなくても
何の差し障りはない。しかし、いても何の差し障りも
ない。つまり人畜無害で空気のような存在といえる。
いや、タダの空気とは違う。自然の中で呼吸するウマ
い空気かもしれない。ソレガシにとってはいてくれれ
ばそれに越したことはないがいなくなっても困窮する
という訳でもない。そんなことをアヤに向かっては決
して言えないが、ぶっちゃけた話、それは事実で、空
気はあると何も感じないが、なくなれば苦しくなるん
で、本当は困るかもしれない。しかしいつもはその存
在も忘れている。魚にとっての水のようなもの、魚も
普段は自らを取り囲んでいる水の存在など忘れている
だろう。しかし、水から引き離される口やエラをパク
パクして苦しむことになる。そういう存在であるから、
一緒にいる段階では無害で忘れている。しかし、離れ
られないかもしれない。なくてはならないと言えるか
もしれないが、アヤが来る前は何不自由なく気ままに
やっていたんだから、それでも生活は成り立つ。いる
には越したことはないが、渇仰するような対象ではな
いから空気や水の例えはやはり適当ではないかもしれ
ない。蛇足と言えば確かに蛇足だろう」
「弦は色気もなく仕事一筋の生き方をすればいいんだ。
そういう生き方もありだろう。しかし、男というもの
は英雄色を好むというように色事がいい男には必ずつ
いて回る。比叡山で千日回峰行という超荒行を達成し
た阿闍梨様だって夜ごと人目を忍んで彼女に会いに出
かけていらっしゃったと聞いたことがある。いい仕事
をする男を女性たちは放っておくはずがない。いい子
孫繁栄のためにもいい男の遺伝子を自分身体の中に取
り込んでわが子に受け継ぎたいというのは本能だろう
から、いい男には女たちが群がる。いい男はそういう
女性たちを無下にはできないから相手をすることにな
る。マスターも老舗を受け継いだラーメン店店主とい
うことで、いい遺伝子を求めて女性が近づいてきても
なんら不思議はない」
弦はその時、さきほど新幹線のホームで見送った九
州女磯村美和のことを思った。美和はいい男である弦
の遺伝子を自らの体の中に取り込み、我が子に弦の遺
伝子を受け継ぎたいと本能的に行動しているのかもし
れないと思った。そう考えると自分はいい男の部類に
属することになる。この店のマスターと同類というこ
とになる。それはいいことなのだが、しかし、この店
のマスターは常軌を逸している。親子以上に年の離れ
た若い女をペットにように囲い込んで養子縁組しなが
ら実態は性奴隷のような状態に追い込んでいるといえ
る。それは邪道ではないのか。獣の踏む道であって、
真っ当な真人間の踏むべき道ではない。どう理屈をつ
けようが、邪であることは、だれもが認めるだろう。
「僕は潔癖すぎて了見が狭いのかもしれないけど、や
っぱり若い女子を囲い込むようなことは間違っている
と思う。親元に帰すのが常識人の対応だと思う」
「だから、親元は存在しないし、親代わりの叔母と祖
母はそちらで世話になっていいのならお願いしますと
言うような人たちだから、それならということで、マ
スターは引きとったんですよねぇ」
「その通り」
「親代わりなら親代わりに徹するべきで、手を出した
りするのはもっての外だと思う。手を出したいなら正
式に結婚すべきだと思う。どっちつかずの中途半端が
よくない、と僕は思います」
「今藤さん。全くもっての正論ですよ。反論の余地な
し。だけどね、今藤さん。世の中そう、理屈通りにい
くもんやない。人情は法律を凌駕する。そういうこと
は歳をとるとよくよくわかってくると思うが、ソレガ
シも三十三も歳の離れた女の子と結婚するには流石に
世間体とか憚られるし、アヤの将来を考えても早く未
亡人になって苦労させるようなことは忍びない。一時
の気まぐれでソレガシのようなジシイに思いを寄せて
いるが、現実に立ち返ってそろばんをはじいた時に歳
の近い男と一緒になった方が得だということはわかっ
てくると思う。しかし、今は一時の迷いにせよ、ソレ
ガシのような老いぼれに心と身体を求めて来るのであ
るであるなら、親代わりになって保護してやろうとい
う気持ちになるのも、今藤さん、人情というもんやな
いかね」
なかなか説得力がある。しかし、弦はその名に反し
て譲らない。
「情に竿させば流される、と漱石は言ってます。もし
もですよ、彼女が身籠ってしまったとしたらどうする
んですか。関係は決定的となってアヤさんの将来は決
定づけられてしまいますよ」
「それは避けねばならんな」
「避妊の徹底ですね」
私が口を挟む。
「そうだが、アヤは附けたがらんのやわ。なんでもホ
ンモノを求めたがって、ソレガシのすべてを受け入れ
たいと言っとる。ゴムでごまかすようなことはナチュ
ラルやないと言う」
「ナチュラル派ですか、かつホンモノ志向」
「そうや」
「ならばなおさら、妊娠の危機は切迫してますから、
取り返しのつかないことになる前にそんな関係は清算
すべきではないですか。親代わりなら親代わりに徹す
るべきです」
「その通りやと思う。まさに正論。しかしな、今藤さ
ん。ピッタリタイプの妙齢の女が一つ屋根の下にいて、
濡れた目をして熱い眼差しでこちらを見て、寝屋に忍
び込んできたら無下に追い出せるかね。あっち行けと
かいって蹴っ飛ばせるかね。そんなことする男は朴念
仁やと思う」
「そうやて、弦。昔、禅宗の坊さんを世話をする老婆
がいて、試しに若い女を坊さんのいる庵に忍ばせると、
僧は無下に追い出してしまった。すると老婆はそんな
朴念仁の禅僧は供養する甲斐がないといって、庵に火
をつけて燃やしてしまったという話を題材にして小説
を書いたことがあるけど、迫られたらきちんと受け入
れ優しくしてあげないといけない。色事に迷うのとは
また別次元で、人間的なフレキシブルな悟りこそ求め
られる」
「イヤ、違うと思う。普通の人間ならそれでいいかも
しれないけど、僧たる者、道を究めるために通常の快
楽は遮断しなければならない。若い女の誘惑はサタン
よ去れの一語で一喝して追い出してしかるべきで、そ
の禅僧は正しかったものを、庵に火をかけて焼き払っ
てしまったという老婆がまちがっている。何事も白黒
ビシッとけじめをつけないことには、修行中の禅僧な
らなおさら、そんなことに迷いがあってはならないと
思う」
「弦。お前、いつからそんな潔癖な人間になった。昔
はもっとゆるキャラやったやないか、違うか」
すると弦は言ったのである。
「ラーメンが僕を変えた」
「おー。カッコええな、今藤さん。ラーメンが僕を変
えたか。それを言えばソレガシも確かにラーメンに変
えられた人間かもしれん」
「ラーメンて、そんなにパワーがあるんですか。人生
を曲げるほどの」
「あるな。ま、ラーメンに限らず仕事というものは人
を変える。顔も仕事によって変わる。仕事が顔を作る。
毎日同じことをやってればそういう顔になってくるの
は当然やわ。大越さんは塾の先生されとるで、そうい
う顔になっとる」
「大堀ですって。で、どんな顔ですか」
「塾の先生顔や」
「塾の先生顔って、どんなんですか。イヤな顔してま
すか」
「いわゆる塾の先生って顔しとる。生徒に要領よくテ
ストで点を取る方法を教えて成績を上げさせて生徒を
大勢集めたるぞーって顔や」
「それって、相当イヤな顔じゃないですか。商売人に
近い顔つきですか」
「少なくとも学校の先生とは違う。学校の先生は教育
者の顔や。生徒のためにって顔しとる」
「塾の先生も教育者だと思っているんですけどねぇ」
「いや、多分にビジネスや。全人格を教育したるとい
う情熱よりも、コイツらを利用して如何に金を稼ぐか、
そちらの方にウェイトが置かれとる」
「ひどくないですか。職業に対する偏見というか差別
発言じゃないですか。そんなこといえばラーメン屋だ
って、安いコストで客を如何にだましてリピートさせ
るかに懸けたビジネスそのもので不純だと思います」
「ラーメン屋はラーメン屋で教育のようなきれいごと
を掲げとるわけやない。たかがラーメン一杯に情熱を
注いで食べていただく。イヤならご来店なさらなくて
いいだけの話」
「それなら塾だって学校と違って、イヤなら別の塾に
変わっていただければいい話で、来ていただいた生徒
さんに思い切り情熱を傾けるのは同じです」
「教育者やという思い上がりがある。ラーメン屋には
たかがラーメンという謙虚さがある」
「たかがラーメン、されどラーメンっていう職人とし
てのプライドがあるわけでしょ。行列なんかできれば
たかがラーメンじゃないですよ。腕を組んで斜めにこ
ちらを見てポーズ決めてる芸術家気取りのラーメン職
人もいますから。気に入らなければ帰ってくれとかい
うラーメン屋もいましたから」
「大盛さん、そんなラーメン屋は昭和の話で今はない
よ」
「だからッ、大堀ですってば。マスター、そんなこと
ないッスよ。ウチの近所のラーメン屋のオヤジは客が
味が薄いって文句言ったら金は要らんから帰れって怒
鳴ってましたから」
「今どき珍しい昭和風情のラーメン屋やな。そこ流行
っとるのか」
「全然。日曜日もガラガラで、僕は空いている店だか
ら落ち着けるんで行くんです」
「令和のラーメン店は接客も行き届いとらな集客はム
ズカしい。もっともウチなんかは老舗であることに胡
坐かいてあんまり接客に気遣っとらんけど」
「昭和じゃないですか。味変えれば常連に怒られるん
でしょ。しかし、若者に背を向けられたら年寄りばか
りになってやがて来なくなりますよ」
「それが若い客もソバ佐藤やＫＹＴの堀沙也加なんか
が来てくれるもんで、店は安泰なんや。危機感はない」
「新たな味を開発しなくてもよくて、昔からの味を頑
なに守り続けていれば愛されるってことはいいのか悪
いのか。ただ老舗にもやはり努力が必要だと思います。
店の老朽化が進めば店舗の改築とか設備の充実とか、
味は守るにしてもその他は現代人にマッチした内容に
進化させていかないとやがては時代の動きに取り残さ
れてしまうと思います」
「店の構えも昔ながらが愛されとる。改築もできん。
世の中が変化する中でそこだけは変わらないものが愛
されとる。それはそのまま保存しなければならない」
「その保存も大変だと思います。跡継ぎの問題もある
し。デブ丸さんは大丈夫なんですか。後継者問題」
「今のところ後継者はいない。弟の長男が東京におる
のが唯一の候補やが、東京で就職すると言っとる。説
得して首に縄つけてでも戻さなあかんかもしれん。後
はアヤがソレガシの子を産んでくれたらそれも候補に
なる」
「随分迂遠な話です」
「なーに、アヤをすぐ孕ませて来年生まれればソレガ
シが七十五まで頑張れば二十三になって立派に後を継
げる」
「男の子が産まれるとは限らんでしょ」
「女の子でも構わん」
「マスターが構わなくともお子さんが構うでしょう」
「嫌がるかもしれんが店のことを知れば自分がやるし
かないっちゅう気になると思う」
そこで弦が発言する。
「わかりました。後継者が欲しいという理由だったん
ですね。後継者を産む女性を物色していたところに渡
りに船で現れたのがアヤさんだった」
「いや、そーいう訳でもないんだが、まぁ、そういう
ことでもええわ。納得してまえるなら」
「店のことを第一に考えて後継者を産んでくれる女性
を探し求めていたところに現われたのがアヤさんだっ
た。若い子と遊びたいというわけではない。それなら
納得します。何よりもラーメンのことを考えてらっし
ゃるということなら、尊敬に値します。しっかりとア
ヤさんと交渉なさって一日も早くご懐妊されることを
祈りたいと思います。毎晩励まれることがラーメン店
のためになるのなら」
「毎晩なんかできん。ムリや」
「スッポンとか亜鉛とかマカとかの薬がありますから、
とにかくラーメン作りと同じくらいに子作りに励まれ
るべきだと思います。仕事だと思って毎晩アヤさんに
果敢に挑まれるべきだと思います。そういうことなら
僕は全力で応援しますから」
つづく
月刊ＷＥＢ風 ２０２１年３月号 通巻第１４４号
［原稿用紙３０枚］
